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President Blog : Sophia Cradle Incorporated

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2005 年 01 月 10 日 : Diversity

ソフィア・クレイドルを創業する前から、さまざまな専門性や文化的背景を持つ、意欲に溢れた精神的に若い人たちと一緒に仕事をしたいと願っていた。そのような多様性こそが、創造的なアウトプットに繋がるのだと感じていた。

アスリートたちが、基礎トレーニングを繰り返すことで、筋力を鍛えるように、創造的な仕事をするためには、脳のシナプスを活性化したり、思考の筋力を柔軟にしたりといった種類の訓練が必要だと思っている。

いろんな考え方、発想をする人がいればいるほど、話がまとまらないという危険性もあるわけだが、意外な考え方を、相手が打ち出してくれることで、それまで眠っていた自分の脳神経が働いて活性化するのではないだろうか。

あることを、いろんな角度、観点から議論をすることで、独創的なアウトプットが生まれるだけでなく、スタッフたち全員がクリエイティブに成長してゆく。

日本の大学は、文系、理系と分かれていたり、更には学部、学科と、縦割りに細分化されている。研究内容にしても閉塞感が漂っている感がある。

ソフィア・クレイドルでは、そういう文系、理系、学部、学科、学歴、国籍など関係なく、できるだけ偏らないように、多様な人材で組織を構成するようにしている。

コンピュータソフトウェアを研究開発するのが本業であるけれども、画家や、文学、ファイナンスが専門のスタッフもいる。コンピューターを専門とするスタッフもいれば、物理学や数学が専門のスタッフもいる。日本人だけでなく、ルーマニアと中国から来日している外国人もジョインするなど、多彩な異能が集まる場を目指している。

外国のスタッフと会話するときは、日本語と英語、ボディランゲージなどが入り混じった形でコミュニケーションすることになったりするが、こういコミュニケーションが、お互いの創造性を活性化してくれるように思える。なんとなく、英語と日本語とでは使う脳のシナプスが異なるようで、気のせいか普段使っていない回路が活性化されるようにも感じる。

同じ専門どうしのものでも、観点や設計や趣味は異なっている。共通するものもあるし、異なるものもある。

以前紹介したように、アップルコンピューターの創業者スティーブ・ジョブズ氏のいうように「Creativity is just connecting things. (創造性とは物事を関連付けて考えることに他ならない)」と思う。

万華鏡のように、多種多様な視点を組み合わせながら、その中でも、最も調和がとれて、美しいと思えるものを作品に仕上げ、世に送り出したい。

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2005 年 01 月 09 日 : Bootstrap

ブートストラップ」というコンピューター用語がある。全く別々の存在である「ハードウェア」と「ソフトウェア」とが一体となって、コンピューターが稼動し始めるまでの一連の処理手順のことだ。

最初は「ROM」にハードウェア的に記憶された「ブートローダー」と呼ばれる、ごく小さなプログラムがメモリーに読み込まれ、ハードウェアの初期設定がなされる。そして、「ハードディスク」に記憶されている「オペレーティングシステム」が読み込まれ、コンピューターは動作可能となる。

昔、初めてコンピューターを勉強し始めた頃、鶏と卵の関係みたいなコンピューターの根本的な動作原理に興味を持って、このことを熱心に研究したのが懐かしい。

ベンチャー起業というのも、経営が安定するまでの一連の出来事はコンピューターのブートストラップに似ているように思える。製品とお客様、どちらが先かはっきりとしないが、会社がある程度軌道に乗ってくると、なんとなく製品とお客様とがハーモニーを成すように感じる。

お客様から必要とされるもの、欲せられるものが製品として提供される様が、次第次第にパーフェクトに近づいてゆく。

コンピューターも ROM に記憶されたブートローダーと呼ばれる極々小さなソフトウェアが無ければ動作しないわけで、コンピューター全体からすればそれが最初の重要なキーとなっている。

ベンチャー起業においても、コンピューターのブートローダーに相当するような、キーとなる小さなきっかけが掴めるか否かでその後の道のりは大きくことなってくるのではないだろうか。

創業して 3 年が経過し、お客様の数もまもなく 100 件を超えようとしている。しかも、時の経過と共にお客様の数の増加の勢いは加速している。最初はなかなかペースが上がらず、歯痒い日々を過ごすことも多かった。

幸いなことに、ある日を境として世界が変わったかのようにお客様が増えている。これも最初のお客様から始まっているわけで、最初のお客様から注文書をいただいた感動は忘れえぬ思い出として脳裏に強く刻まれている。

スタッフがこの時の感動と感謝を忘れない限り、きっとベンチャーを弛みなく成長を続けるんだろうなと思う。

ここまで来るには地道なマーケティング活動が続いた。もともと押し売りのようにして、製品を販売する性質ではないので、営業的には苦戦することが多かった。逆に言えば、それが良かったといえるのかもしれない。

これまで特に意識してやってきたことは、お客様との対話だ。販売代理店網を創って、製品を販売するのではなく、当社がお客様に製品を直接販売する道を選択したので、必然的にお客様との対話が続いた。

製品が完成すれば、メディアに流す、プレスリリースの文章は、丁寧にどの仕事よりも力を入れて努力した。そして、いろんなメディアに掲載されることが叶った。製品開発で多忙な時期でも、携帯 JavaBREW の技術情報の文章を寄稿したり、情報発信に努めた。

それらをきっかけにして、お客様との対話が始まったように思う。最初は製品の無償評価版の提供をし、お客様から評価版を試用した感想や印象、評価といったものを根気強くヒアリングした。お客様も忙しいので、なかなか本音を話してくださらないが、次第に製品のどこを改善すれば、お客様に受け入れられるのかが分かってくる。同時に、お客様との信頼関係も深まっていった。

要はお客様との対話を繰り返しながら、製品の機能をゆっくりとバージョンアップしていった。閾値とはこういうことをいうのかもしれないが、感覚的なのだが、製品のレベルがある段階を超えた時点で注文が増え出したように思える。インターネットや i モードの利用者がある時点を境にして、急増したあの感覚に近いように思える。

お客様との対話を根気強く続け、それをフィードバックし製品を育てる。そして、お客様からの注文をいただいた時の感動と感謝を大切にし、堅実、着実な商売を継続することこそがベンチャー起業の王道のような気がしてならない。

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2005 年 01 月 08 日 : Accelerate!

創業 4 年目を迎える。

創業した当初は、霧の中を走るような感じで未来のことをはっきりとイメージできなかった。でも、いまではだんだんとそれが見えるようになってきた。

やっていて分かったのは、未来は自ら切り拓き、創るしかないということだ。強く念じたことは時間を要しても確実に実現してきた。

最初は建物の基礎を創るような仕事が大半を占めた。大地震が来ても倒壊しないように、建物でも高層ビルになればなるほど、その基礎はしっかりとし磐石なものになっている。あるいは、メルセデス・ベンツのように完璧で安全な車を製造する過程もそうなのだろう。

基礎の上に、できる限り高く美しい超高層ビルを建てたい。だから、会社を創業してからずっと基礎固めを何よりも重視して仕事に励んできた。その基礎工事もようやく一段落する。

基礎を創るという仕事は、「売上」や「利益」といったように直接目にすることができないので、感性によって完成の具合を見極めるしかない。人によっては目隠しをされて自動車を運転するような不安感を抱くかもしれない。

これは、研究開発型ベンチャーが成長するために、乗り越えなければならない最初にして最大の難関なのだろうと個人的に思っている。

私たちがやってきたことは、本気になってやろうと思えばきっと誰もができることだろう。しかし、ゼロの状態からスタートし、確実な未来が保障されない中にあって、その努力を創める人も少なければ、継続する人はもっと少ない。ビジネスチャンスは、大抵こんなところにあるものだ。

最も大切なのは「アイデアを具体的な行動に結びつける」ということではないだろうか。

実際問題として、これができない場合が大半。だから、競争そのものがなくなって、そのレースに参戦しているだけで勝ち組になれる。能力や才能に自信を持てなかったとしても、それを創めた者は実地の体験や経験を通じて自己の潜在能力を開花し、ブレークスルーしてしまうのだ。とにかく、初めの第一歩を踏み出すのが肝心だ。

若ければ若いほど、人は自分の夢と希望を鮮明にイメージしている。無気力のようだとか、楽をしたいだけなのではないかと評されても、あるいは自らもそう思い込まされているだけ。本当は、潜在意識の中であっても、イメージをちゃんと持っている。だからこそ、実際にはいろんなアイデアを実現できるチャンスに恵まれている。けれども、それを実現する具体的な手段や進む方向が直ぐには分からない。

1 人でも夢と希望を共感するスタッフがいる限り、実現の可能性はゼロではなくなり、ゴールに向かって前進している。そのまま歩み続ければよい。

勇気を出して挑戦するだけで、成功する確率はぐっと高くなる。アイデアというものは、後から振り返れば、あんな簡単なことは自分でもできたのに!と人が悔しがって思うようなものばかりだ。

超高層ビルでいうところの、基礎を創る段階を越すと、次第にその先にある未来の展望が遥か彼方まではっきりとしてくる。ベンチャーをやっていてワクワク&ドキドキする瞬間の始まりでもある。

創業 1 年目は、ブランドも実績も、売るべき製品も無かった。少しばかりの資本金と志を同じくするスタッフたちだけだった。創業初年度と 4 年目のいまを比較すると、この 3 年間で大きな違いがあることに改めて気付く。私たち自身、これまでいろんな苦労や壁を乗り越える度に成長してきた。いまは過去に実績があり、しかも完成度の高い製品だって存在している。会社や製品のブランドも少なからずある。はっきりと確認できる「売上」と「利益」というものも毎月増加している。

ベンチャー起業というのは、苦しい環境にあっても、それを突破する過程において、自らの潜在的な能力を獲得、開花してゆくプロセスに近い。そのプロセスを繰り返す毎に、ベンチャーは加速度を増して急成長してゆくのではないだろうか。

根本を辿れば、結局は私たち自身そのものにあることがわかる。人間的な成長なくしてそれは達成し得ない。ある意味では、ベンチャーを創める意義をそこに見出すこともできる。

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2005 年 01 月 07 日 : 馴らされた鴨

この鴨の話はご存知だろうか?

デンマークの哲学者、キルケゴールの「馴らされた鴨」の話である。一度は耳にしたことがあるかもしれない。創業以来、公私にわたってお世話になっている先輩社長からも、IBMといえば「野鴨の話」で有名ですね、といわれ驚いたりする。

実は、IBMに入社したのが、この話を知るきっかけだった。そして、星の数のように、あまたこの世に紡ぎ出されし物語の中でも、この話が私の潜在意識に強くしみこんでいるらしく、未だにその印象を忘れることができないでいる。

それはこんな内容の話だ。

『毎年晩秋の頃になると、鴨の群れは食べ物を求めて南へと旅立っていった。ある日、その土地に住む老人がその鴨の群れに餌を与え始めた。すると、その年から、冬になっても、その鴨の群れは南へと飛び立たなくなってしまった。飛ばなくとも食べ物にありつけるので、その太った鴨たちは飛ぶことすらしなくなった。そして、その老人が亡くなり、その飼いならされた鴨たちは、食べ物を求めて自分の翼で飛ぶ必要にやっと駆られたが、もはや飛ぶことはできず、全ての鴨が死んでしまったという。』

この話に感銘を受けた、米国IBM社の二代目社長トーマス・ワトソン・ジュニアは、さらに次のような言葉を残している。

「野鴨は馴らすことはできる。しかし馴らした鴨を野性に返すことはできない。もう一つ、馴らされた鴨はもはやどこへも飛んでいくことはできない。ビジネスには野鴨が必要なのである。」

この話を忘れ得ないのは、IBM時代、入社間もない頃に聴いたからだろうか。だから、サラリーマンをしていた頃も、私は、少なくとも飼い馴らされた鴨にはなりきれず、自分というものを主張する、上司たちからすれば管理しにくい存在であったかもしれない。上司にとっては、入社してそんなにも即、トーマス・ワトソン・ジュニアの言う通りの飼い馴らされない鴨にならなくても、という気持ちであったことだろう。

ベンチャーを創業した今となっては、そのような精神でもってサラリーマン時代を過ごせたことはとても幸せだったと思う。

黙っていても、毎月決められた日に、自分の銀行口座に決められた給与が振り込まれるという「飼い馴らされた鴨」のような感覚で働く習慣がついていたとしたら、ベンチャーを創業したとたん倒産、もしくは廃業に追い込まれたことであろう。

独立するということは、毎月自分の銀行口座に決まった給与が振り込まれる生活から決別するということなのだ。自分たちが創った商品を買ってくださるお客さまを創造しない限り、自分の銀行口座にお金が振り込まれることはありえない。

お客さまを創造できなければ、あとは餓え死にするしかないのである。極端な話をするならば、ベンチャー創業とは生死を賭けた戦いとも言える。

しかし、逆の視点から、この事実を眺めれば、社会的に意義のあることを成し、たくさんのお客さまを、そして仕事というものを、無制限に創造することもできる。

そうして得たお金を、社会的に意義のある、より大きな仕事に投資することによって、スタッフたちと会社はぐんぐんと成長することもできるし、その収穫を社会に還元することも可能だ。

IBMで学んだこの貴重な言葉は、ベンチャー起業の支えにもなっている。IBMで働いて良かったと実感できる瞬間でもある。「馴らされた鴨」の話は、ベンチャーが偉大な企業へ成長するための道に通じる何か普遍的な話のように思える。

同じIBM出身者でも、このトーマス・ワトソン・ジュニアの精神を信じ、ここまで本気で実践し行動している者は少ないような気がする。ある意味では、このために辛く厳しい壁にぶち当たることもある。しかし、いつか長い人生を振り返る時に、これこそが人生を豊かに有意義なものにしてくれた鍵だったと回想できる日が来ることを願いたい。

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2005 年 01 月 06 日 : From the top of the world

13 世紀の始めのこと。ある不思議な人物が、突如として歴史の表舞台に現れ、人類史上最大といわれるモンゴル帝国を築き上げた。何故、無名の存在に過ぎなかったチンギス・カンが、そんな気宇壮大な伝説のような歴史を成し得たのだろうか。

モンゴル帝国のことを調べていて興味深かったことは、遠い国々へのモンゴル遠征軍は、主として少年たちで組織されていたことだ。しかも、故郷であるモンゴルを出発する時は、10 代前半の者がほとんどであったという。しかし、少年たちの軍隊を率いる指揮官は、歴戦練磨の戦士で、彼らを充分に教え鍛えることができた。遠い国への長い遠征の過程で、少年たちは、指揮官の指導に素直に従い、自らの武術に磨きをかけたという。そして、さまざまな実地での体験や訓練を通して、一人前の勇敢な戦士へと成長していった。そのようにして統率された軍隊は、古今無双の戦闘力、機動力を擁して連戦連勝し、人類史上最大の世界帝国が誕生したということだ。

このような過去の歴史の断片からも、未来に向けてベンチャー経営の戦略を立案するための、ある種の教訓や示唆が見出せる。

若きスタッフたちが、世界の檜舞台で、自由にのびのびと楽しく活躍できる場を目指して、ソフィア・クレイドルというベンチャーは創業された。なかにはそれが信じられずに去るものもいたが、年々世界の頂点へと近づいている。創業以来ずっといるスタッフたちにはそれがよく実感できると思う。

世界に通用するようなものは、どのようにして生まれるのであろうか。

それは、一朝一夕に生まれるものではなく、木の年輪が増えるように、その土壌や礎となるところで、長い歳月がどうしても必要なのに違いない。恐らくモンゴル帝国は、伝統を享け継ぐものが、長期的な視野から、少年たちをじっくりと実践で育てることで、帝国の繁栄を築いていったのではないだろうか。

世界の頂点を目指している。だから、何年ものロングレンジに渡って、若い頃から自分たちの技術、製品、そして会社そのものを継続して成長させたいと願っている。

大企業に所属していた頃は、配属された組織の壁があって、世界レベルでものごとを考える余地はほとんど無かった。入社した瞬間、サラリーマンというのは安定しているけれども、数学でいうところの上限がある世界に思えた。

ある意味、ベンチャーを創業して思うのは、反対にこんなことだ。たしかに数学的に言えば、やりかたを間違えると、すべてを失うことや−∞となってしまう可能性もある。だが、+∞という数学も現実に存在する世界でもある。それこそ、創業したばかりの頃は、『世界を狙う』、という表現すらが夢物語としてしか捉えることが出来なかったかもしれない。いま残っているスタッフたちは、オリンピックのゴールドメダリストのように世界の頂点に立てる日を信じて、真剣に仕事に取り組んでいる。

去っていったスタッフたち、そしていまのスタッフたちのために『Dreams Come True. 夢は実現する』ということを実証したい気持ちでいっぱいだ。長期戦になろうとも、現実社会でいろんな経験を積み重ね、自らに磨きをかけ、いつの日か必ず世界で一番高い頂上に立ち、スタッフたちと共にそこからの美しい景色を眺めたい。

2005 年 01 月 05 日 : Viewpoint

年明け早々なのに、新たにカナダ、ポルトガル、タイ、ベトナム、デンマークといった意外な国々からも問い合わせが来るようになってきた。恐らく日本で利用されているような高性能な携帯電話が、きっとそういった国においても普及の兆しがあるに違いない。

昨日、今日と、会社は休みなのだけれども、インターネットを駆使して、米国のある会社とソフィア・クレイドルの製品導入の検証をしている。問題となる箇所も特定できたので、多分うまくいくことだろう。ここに導入すれば、ソフィア・クレイドルにとって初めての海外進出ということになる。(こういう時、インターネットの偉大さや有り難さといったものを痛感させられる!)

今年は期待が持てる楽しみな一年だ。これまで努力して研究開発してきた製品の成果が現れ、拡がってゆく。さらにより高い目標を打ち立てて、ひたすら努力することが大事ではないかと考えている。そして、一歩一歩自分たちが成長することに、人生の意義を感じるようでありたいと願う。

ベンチャービジネスで成功するためのキーとなるポイントの一つは着眼点ではないだろうか。天才的な頭脳を有する会社であるのに、伸び悩んだり、倒産、吸収される会社が後を絶たない。戦略的に間違った選択をすれば、いくら戦術に長けていようが軌道修正のしようが無いということなのだろう。だから、何かものごとを始める時は、それに将来性があり、自分たちの強みを発揮でき、自分たちにしかできない事業かどうか、それをよく洞察することが何よりも大切だ。

いくら将来性があっても、大手企業などの他社が参入しえないような、特別な理由や条件が無ければ、その事業は始めない方が良い。自分たちにしかできないことは何かをよく見極める必要がある。そのためにも創業する前に、自分たちの好きなこと、得意なこと、強みは何かということを冷静に、真剣に見つめ直すことだ。

i モードが導入された時点で、直ぐに携帯電話というものの将来性を非常に感じたが、どこから入っていけば良いのか、その突破口をなかなか見いだせずにいた。3 年という期間を費やして、ようやく『未来の携帯電話=ネオ・タイプの超小型モバイル PC 』という方程式に確信が持て、この分野に入るべき道を発見することができた。

しかし、何れ多くの競合他社がこの分野に参入することは予想された。そこで、結論から言えば、携帯電話のソフトウェアであっても、「どう転んでも 時間の掛かってしまう ビジネスの分野」を探し出す努力をした。それが現在製品となっている携帯ソフト圧縮ツール「 SophiaCompress(Java) 」と携帯ソフトフレームワーク「 SophiaFramework 」である。何れの製品も、天才的な一人のプログラマーが設計し、ごく少数の有能なプログラマーのチームでプロジェクトを構成して、実現していった場合の方が、格段と質の良いものをアウトプットできる。

携帯電話向けソフトは、メモリ容量や CPU の性能の問題があって、いまは量よりも質が重視される傾向にある。さらに、他のジャンルのどんな製品でもそうかもしれないが、ソフトウェアのクオリティというものは、それを構成するパーツの中で最も劣る部分で決定されると言われている。所謂、ボトルネックのことだ。多人数からなるプロジェクトの場合、どうしても様々なプログラマーが混ざってしまい、部分的にはすごく優れていても、ある部分が欠陥となり、総合的には陳腐なものになっている、という残念なことが往々にしてある。

そこに目をつけて、ほんの数名の少数精鋭のプロジェクトで、3 年というベンチャーにしては比較的に長い歳月をかけて、自社製品の完成度を高めつつ、実績を積み重ねていった。現段階でこれといった競合他社を見いだすことはできない。同じくらい天才的なプログラマーを擁して、いまからこの分野に参入したとしても、これまでの3年という歳月を挽回することは至難の技だ。

ベンチャーといえば、「スピード」というものが重視される傾向にあって、意思決定においてスピードはとても重要だと思う。しかし、反対に、製品開発においては、どのように頑張っても、例えば 3 年かかるような分野を選択し、3 年後にピークになるものにフォーカスを絞り、それを見計らって目立つことなくこっそりと研究開発を進めることも一つの重要な考え方だ。直ぐに実現できてしまうような、簡単な製品やサービスは、当たることもあるが瞬間的に消え去ってしまうのことの方が案外多い。

有り難いことに「時間」というものは、大企業にも零細企業にもすべてに対して、平等で最も貴重な経営資源だ。

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2005 年 01 月 04 日 : Entrepreneurship

2000 年を境として「モノ余り現象」が急激な勢いで進展している。そして、過去の歴史を振り返っても現代ほど個人が期待されている時代はないだろう。その個人に秘められた潜在的な才能や能力を、遺憾なく発揮できる場所、環境を提供できるかどうかで、その会社の未来が決定づけられるのではないだろうか。

こと細かく仕事の指示をすることは余りない。懇切丁寧に指図しないので、将来展望のようなものが見えないといって去る者もたまにいる。しかし、ソフィア・クレイドルでは、若きスタッフたちが、常識では考えられないほど、仕事を任せられ、自由闊達に活躍している。彼らの創作したソフトウェアは、数え切れないほど多くのアプリケーションで、実際に利用されている。

前途有望な若いスタッフたちの可能性を、できる限り伸ばそうとするならば、彼らが自ら機会を創り、自分の才能を切り拓いてゆくのがベストだと思う。これは私が起業した一つの理由でもある。

世間一般でいうところの大企業に勤務していたことがあった。その時に苦い経験をした。別に会社が悪いというのではなくて、私という存在がたまたま大企業で働くということに向いていなかっただけなのだが…。その会社自体は立派な会社だと今でも思っている。

大企業の場合、大きくなればなるほど、業務プロセスと個々の社員のミッションというものが細かくマニュアルに記載されていて、その範囲内で仕事をすることが求められる。範囲外の仕事をすると、業績評価の対象にもならないし、動こうにも制約が厳しくやりたいことがあまりできない。例外はあると思うが、だいたいそんな傾向にある。もしソフィア・クレイドルが大企業になった場合は、その例外の部類に属したいものだ。

コンピューターテクノロジーの進歩は早く、技術的な仕事をするのに、どうしても組織の定められたミッションを遂行するだけでは無理があって、その頃、やりたい仕事が全くできない日々が長く続いていた。組織の問題ではなく、そのミッションと私のやりたいことが合わなかったということだ。組織のルールに従えば、それで万事済むように思えるが、自分の才能や能力といったものを、潜在的なものまで含めて完全燃焼するくらいに頑張ることはできなかった。

ノーベル賞にしても、その評価の対象となるのは 20 代の頃の業績によるものが大半であるようだが、ソフトウェアのような仕事も、20 代の時にこそ世界を変革するような画期的な成果が生まれるものだ。

大企業にいた頃の職務内容は、既成概念のもとに作成された事業計画をトップダウンに展開し、その一部をある社員が受け持ち、それを計画通りうまくやれば、「A」や「SA」というような最上位の業績評価を受けることになる。成績が良いのは、ボーナスや昇給、昇格に繋がり、個人的な生活の上では満足できるかもしれないが、与えられた職務範囲外や計画外のことまでやれば、社会にもっと大きく貢献するような仕事ができた可能性も否めない。

そのような仕事ができる場を求めて、いろんなところを探したが、発見できずにいた。最終的には、今のように起業という手段で、ソフィア・クレイドルのスタッフたちと共に、私たちがやりたいことを自分たちが決めたルールで、自由に楽しく充実した人生を過ごそうとしている。

そんな経緯や背景があるので、スタッフたちには自己の潜在能力を思う存分に発揮してもらうため、できるだけ細かい指示はせずに、自由にのびのびと仕事をしてもらうように配慮している。だから、自ら計画し、ものごとを組み立てて仕事をすることに不得手な人にとっては働きにくい職場かもしれない。しかし、クリエイティブな人にとってはとても居心地の良い職場のようだ。彼らの素晴らしいアウトプットを見ていればそれがよく分かる。

例えば、29 歳の G 君は、あるフリーソフトの作者として日本全国にその名を轟かせるくらい、知る人ぞ知るような存在だ。H 君、Y 君の中高校の科学部の後輩でもある。つい最近、彼は、ある大手企業の中央研究所から依頼された PDA 向けのソフトウェアを、携帯電話に自動的に移植するシステムを1ヶ月足らずで完成させている。通常、このような仕事は、手作業で数ヶ月かけてプログラムを組みなおす、超面倒なかったるい作業だ。しかし、彼は、どんなソフトウェアでも自動的に携帯電話に移植できてしまうような汎用的なシステムとして、それを大変、エレガントに創った。

22 歳の E 君は、大学では理論物理学を学んでいる。プログラミングは趣味でやっているようだが、驚くほどアルゴリズムに強い。携帯電話で搭載されている CCD カメラを通して漢字を文字認識するようなシステムは、未だ発表されていないと思う。いま、彼はそのようなものを研究開発している。入社して間もないが、そのシステムはまもなくプロトタイプが完成する見込みで、とても楽しみだ。

(ある上場企業が同じようなシステムを開発している。しかし、それは文字のバリエーションの少ないアルファベットと数字、簡単な記号までしか認識できない。E君のシステムでは携帯電話で何千ものバリエーションのある漢字まで認識できる点が画期的だ。韓国語、中国語など多種多様な言語の文字認識にも汎用的に横展開できる凄い発明へと発展するかもしれない。ある意味でその未来にワクワク、ドキドキするような気分を抱かせてくれる。)

主に開発系スタッフについて述べてきたけれど、ソフィア・クレイドルでは、そんな風に、20 歳前後のスタッフたちが、一般企業のベテラン社員と遜色のないくらい素晴らしい成果をあげている。

しかも自律的に自ら機会を見つけ、自分で目標を設定している点がとても評価できると思う。そういう次第で、ようやくこのような日記を書く余裕を持てるようになってきた。

2005 年 01 月 03 日 : Amazing story

稀に「奇跡」と言いたいような凄い事実や光景を見たり、聴いたりすることがある。

そんな出来事は一体どういった背景があって発生するのだろうか?

たまたま起こった偶然に過ぎないのだろうか?或いは、起こるべくして起こったのだろうか?

それが起こる理由や原因というものがあったからこそ、「現実」になったのだと信じたい。

ソフィア・クレイドルというベンチャーを経営する起業家である。将来的には自社の製品が、世界のあらゆる人に、良い意味において大きな影響を及ぼすことを、できるだけ鮮明にイメージしている。

客観的に考えれば、創業して 3 年の会社がそんな壮大なことを成し得るのは、それこそ「奇跡」かもしれない。

ベンチャー起業家として、それを確率的に稀な話で済ますわけにはいかない。必然となるようにしなければならない。

無名の時から、ソフィア・クレイドルの製品を支持してくださったお客様への責任であり、製品の研究開発に、献身的に打ち込んできたスタッフたちへの責任でもある。

どんなに偉大な発見、発明、事業にしても、最初はゼロからスタートである。「不可能」はあり得ない。私たちにも偉大なことを成し遂げる資格はある。

自分たちの可能性を信じることはとても大切なことだ。

最初から諦めている人が多いのではないだろうか。歳を重ねる毎に夢も膨らませてゆきたい。

一般に奇跡的な出来事といわれるようなことを、達成する能力とは何なのだろうか?

こんなことを真剣に考える人は本当に少ない。実践している人となればもっと少ない。

成功者の大半は、偶然という要素よりも、そんな能力の追い風を受けて成功しているのが事実だ。

人間の意識には「顕在意識」と「潜在意識」がある。

「顕在意識」とは、ごく普通に私たちが「意識」と呼んでいるもののことだ。

「潜在意識」とは、私たちが意識しえない意識のことであり、呼吸や消化、循環などの人間が生きていくのに欠くことのできないことを司っているような、存在しているにも関わらず、はっきりとその正体が分からない不思議な領域である。

偉大なことを成しえるか否かは、自分の「潜在意識」というものに秘められた力を使いこなせるかどうかにかかっている、と思っている。

偉大な功績を成し遂げた人の書物や話では、大抵この話が出てくる。例えば、モーツアルトは、作曲するときに無意識に、頭に浮かんだメロディーを超人的なスピードで次々と楽譜に落としていった。

昔から、「潜在意識」という不可思議な実体に強く惹かれていて、いろんな書物を読みながら、どうすればその力を自分のものとすることができるのか、などと思いめぐらせたりしていた。

科学的根拠に基づいた、定量的な評価結果というものは存在しない。人の行動というものは全体の90%以上が「潜在意識」というものから生まれ、「顕在意識」によるものはほんの数%だという。

人間が自分で解明することさえできない、生命の仕組みを司っているだけに「潜在意識」の力は目に見えないくせにそんなにも偉大である。

通常、学校教育の試験などで量れるのは、「顕在意識」から生み出されるほうの能力であり、それは全体の意識からすれば氷山の一角に過ぎないことになる。

勿論、学業優秀だった人も偉大な業績を残すこともあるが、学業優秀であっても、社会に出ると平凡な業績しか残せない人は、意外にも多いのではないか。

逆に、学業面ではそんなにたいしたことないのに、社会に出たとたん大きな業績を出している人が案外多い。

いろんな人を見て思うのは、恐らく、成功している人の多くは、「潜在意識」というものをうまく活かしているのだろうという仮説を私は持っている。

「潜在意識」というものは、無意識な意識なのだが、それは「顕在意識」に認識されたものが自分の頭の中にイメージされるものらしい。

いわば、最初は自分の顕在的な想像力から始まるわけだ。だから、最初に「潜在意識」に込める思いやイメージというものは極めて大切だ。

どれだけ真に良きことを前向きに、イメージできるかできないかで、自分の人生そのものが決定付けられる。

これは一つの真理であると、あえて受け止めて、会社や自分や家族のことを、前向きにイメージして思い描くようにしている。

イメージが「潜在意識」に透徹するまでには、寝ても覚めてもそれこそノイローゼになるくらい、思いをイメージし続けねばならない。

簡単なことではなく、根気のいるプロセスである。

質や量の問題もあるけれど、これを実践しているだけでも、実践しない人生と比べれば、異なってくるのではないだろうか。

2004 年 12 月 27 日 : The promised land

いつか「ソフィア・クレイドル」というブランドが、プロフェッショナルなプログラマーにとって「Cool」とか「Smart」を意味する「Status symbol」的な存在となる大きな夢を抱いている。

十数年前、「超一流」というものを目指して熱心にプログラミングに励んでいた。当時、プログラミングのエレガントさやクールさというものに憧れて、プログラムが我ながらカッコ良く書けた時には仕事に大きな充実感を感じていたのを思い出す。多分、作家、作曲家、画家たちが自分の納得の行く会心の作をアウトプットできた時の感覚に近いかと思う。そんな風にアーティスティックに生きていたいと願っていた。

いまのソフトウェア業界をみていて、好ましくないと痛感する風潮は、顧客の仕様通り動けばそれでよしという経営者サイドの安易な発想である。手っ取り早くお金儲けをするのなら、それはそれでよいかもしれない。しかし、そこには未来への希望やロマンが無いのではないか。

起業した理由の一端もここにある。

プログラマーやデザイナーなど関わるすべてのスタッフが、プロフェッショナルとして、現在を革新する超一流の作品を生み出して未来を創造する場にを創りたい。

大企業といえども、株式会社である限り、形式的にも実質的にも会社の所有者は株主である。株主の意向を無視することはできない。

東証一部に上場しているような大企業の株主は何を求めているのだろうか?

大半の株主は、企業の理念やビジョンを知る由もなく、ただ単に企業の株式の短期的な株価の上昇や配当といったものを求めているのが現実ではないだろうか。

大きな企業になればなるほど、そんな傾向が強い。

結果として起こっている事態は、プロフェッショナルな素晴らしい成果を求めての仕事よりは、その場凌ぎの綱渡りのような実態が多いのではないだろうか。

株式会社は、株主が会社の経営に大きな権利や影響を及ぼす。願わくば、「ソフィア・クレイドル」では、できる限り、企業理念や事業の考え方をよりよく理解し、共感してくださる方がたに株主になっていただきたい。

"ソフィア・クレイドル"に関わる皆が未来に夢と希望を抱ける会社にしたい。

2004 年 12 月 26 日 : Phase transition

中学生の時に理科で習った「物質の 3 態」の話はいまでも興味深い。固体、液体、気体という状態のことを「相」といい、微妙な温度と圧力の組み合わせで、物質が瞬間的に「相」を移り変わることを「相転移(Phase transition)」と呼んでいたことを思い出す。

経営というのは絵を描いたり、作詞、作曲したりとアートに似たところが多い。マニュアル通りにはいかないことが多く、相転移にも似たような微妙な違いで相が大きく転移してしまう。だから、繊細な経営センスというものをどうやって培い、あるいは磨いていくかによって、その企業の未来が決まるように感じる。

相転移の実験のように、ちょっとした意思決定のタイミングやバランスといったものが、分岐点になってしまう。また、そういったことを意識するのとしないのとでは大きな違いがある。

スピードだけを重視し、熟考せずに意思決定し、たまたま大当たりして、波に乗れることもある。

転落というものは一瞬のうちに訪れる。あれだけ脚光を浴びていたのに、人々の記憶の中から消え去っていったベンチャーは星の数ほどある。

ベンチャー起業は多大な犠牲を伴うものだ。だから、その犠牲に補って余りあるほどの宝物、煌く宝石の結晶を、一緒に創業したスタッフと共有したい。

勿論、失敗もあるだろう。

失敗や痛みの中から、未来の発展に向けての新しい芽を見出すことが出来るならば、それは失敗ではない。

成功にできるか失敗になってしまうか、境界線は、極めて微妙なものではないだろうか。これが、沸点で水が液体から気体に相転移する時のような感じで、ほんの微妙な差で、固体であったり、液体であったり、気体であったりする。絵画でも、細部にこだわる時と全体のバランスでこだわらない時とがある。

ベンチャー経営というものは、相転移の境界線上を、如何にしてうまくコントロールしながら、アーティステックに自ら成長してゆく道のりではないだろうか。

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