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2005 年 03 月 08 日 : メラビアンの法則

アメリカの心理学者メラビアンによると、話し手が聞き手に与える影響の構成比は次のようになるらしい。

○視覚(外見、表情、しぐさ、態度など):55%
○聴覚(音声の大きさ、トーンなど):38%
○言葉(話の内容、言葉の意味):7%

人間が動物と決定的に異なっていて、今日の高度な文明社会を築き上げる原因にもなった『言葉』がたった7%という結果は意外に思える。しかし、『パレートの法則(別名、80:20の法則)』の観点から考察すれば、この結果にも納得がゆく。

パレートの法則』とは、ものごとの80%は全体の20%に集中するという法則である。この集約された20%に、もう一度パレートの法則を適用すれば、ものごとの64%は全体の4%に集中することになる。

実験の結果だけからすれば、言葉そのもののインパクトは7%と少ないかもしれないが、重要度という観点からは『言葉』というものが70%くらいの割合を占めるくらい実質的な意味において貴重なものかもしれない。

音楽にしても、映画にしても、『言葉』が無ければ、それらの存在価値は大きく下がってしまう。文明社会にあって、『言葉』そのものはレストランでいうところの『味』に匹敵するものであり、それを疎かにすることは決してできないように思う。

レストランの場合、食事をする雰囲気も重要なので、環境的な衛生はもちろんのこと『視覚』に関連するインテリアや食器、『聴覚』に関連する音楽も大切だと思うけれど、肝心の『味』が悪ければお客さまは再び訪れることはないのではないか。

これと同じように、プレゼンテーションのコンテンツ中のコンテンツとも言える『言葉』そのものを大切なものとして取り扱うべきではないだろうか。

2005 年 03 月 05 日 : パラドックス

ベンチャー経営していると、経営資源である「ヒト」、「モノ」、「カネ」と実際の事業内容との間で複雑でパラドキシカルな状況が多々発生する。

10年くらい昔だったか、『公理系をどんなに磐石なものにしても、その真偽を証明できない定理が必ず存在する』という万全に見える数学の不完全さを証明する『ゲーデルの不完全性定理』に興味をもって数学基礎論を勉強していたことがある。確かに、ベンチャー経営において、どのように足掻こうがなす術のない窮地に追い込まれることもあるかもしれない。しかし、矛盾するように見えて、実は正しい『パラドックス(Paradox) 』も存在するのも事実であり、実際にはそんな『パラドックス』が多いのではないだろうか。

「クレタ人は嘘つきである」とクレタ人が言った。』という有名な『パラドックス』を例にとって考えてみよう。このクレタ人に関する文章は一体全体正しいのだろうか?なんとなく矛盾しているように思えるのだが、実はこの文章自体は正しい。

『正直なクレタ人』もいれば『嘘つきのクレタ人』もいる。その2種類のクレタ人をこの文章に当てはめて考えれば、この文章は矛盾せず正しいと解釈できる。

この例から学べることは、一見矛盾するように思えることでも、その根っこを押さえて原点に立ち返って考えれば、正しい筋道が明らかになるということではないだろうか。

これをベンチャー経営に置き換えて考察すれば、その原点に相当するものは『企業理念』や『行動指針』、そして『事業目的』であるように思える。複雑に入り組んだパラドックスのような難題も、そのような原点に戻ることで簡単に、明快に解決されよう。

『企業理念』や『行動指針』、『事業目的』といったものはベンチャー経営を支える根幹でもあり、これらそのものがパラドキシカルな要素を抱えるようであれば、混乱し自己矛盾に陥って経営が立ち行かなくなる可能性が高くなるだろう。

2005 年 03 月 04 日 : キラーアプリケーション

キラーアプリケーション』というキーワードは、コンピューター業界ではよく囁かれる言葉で、「IT用語辞典e-Words」では「あるサービスやコンピュータの機種を大きく普及させるきっかけとなる、特別に人気の高いソフトウェアやコンテンツのこと」と定義されている。

コンピューター』にしても『インターネット』にしても、それ自体は手段であってそれだけでは普及しえない。それを利用することで得られる感動や効能が起爆剤となって人びとの間にひろがってゆく。

コンピューターの最初の利用目的は弾道の軌跡をトラッキングすることだった。その後、企業の情報システムに利用され、現在では音楽や映像、そして電話までもが、いまや持ち運びできるほどに小型になったノートパソコンで利用できるようになった。

MacやWindowsのような、コンピューターの言葉ともいえる「コマンド」を覚える必要のない、「グラフィカルユーザーインターフェース」が発明され、そしてその上に創られた「表計算ソフト」や「ワープロソフト」の存在が『キラーアプリケーション』となって、パソコンは日常にひろまっていった。

『インターネット』はここ最近10年の間に起こった技術革新のように思われている方もいるかもしれない。これにしても30年以上も昔の1970年代には生まれていたテクノロジーである。暫くは軍事や研究などの目的だけに利用されていて、一般の人の目に触れることはまずなかった。しかし、1990年代に「Mosaic」という、今でいうならば「インターネット・エクスプローラー」のような、誰もが簡単にインターネットにアクセスできる、ブラウザソフトの存在そのものが『キラーアプリケーション』となって、今日のように多くの人びとに利用されるようになった。

コンピューターにしても、インターネットにしても、それを応用したアプリケーションは星の数ほどたくさんあったわけだが、それを世界中の誰もが使うほどに決定的な効能をもたらした『キラーアプリケーション』は、5本の指で数えれるほどに少なく貴重な存在だ。そして、その『キラーアプリケーション』が全てを運命付けるほど、ソフトウェアライセンスビジネスに携わる会社にとっては生命線の一つだ。

『キラーアプリケーション』を考える上で大きなヒントとなることがある。それは『ユーザーインターフェース』が革新された時に生まれる傾向にあることだ。『2進数』ではなく、初めて『文字』ベースでコンピューターと対話できるようになった時、或いは今日のようにグラフィカルなユーザーインターフェースが利用可能になった時である。『GUI』と呼ばれる『グラフィカルユーザーインターフェース』にしてもその原点は、1970年代のゼロックスのパロアルト研究所の成果なのだが、それ以来30年間この『ユーザーインターフェース』の分野で『ブレークスルー』と絶賛されるほどの偉大な技術革新は未だ起こっていない。

しかしながら、いま久しぶりに携帯電話で、ある種のユーザーインターフェース上の革新が起こりつつあるような予感や期待がある。この分野で何らかの画期的な成果を残すことができれば、それがモバイルのキラーアプリケーションへと発展してゆく可能性は十分ありうる。

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2005 年 02 月 25 日 : セレンディピティ

セレンディピティ』という言葉をご存知だろうか。Webster's Dictionaryによれば、「セレンディピティ(serendipity)」には「求めてもいないのに偶然に幸運な発見をする能力(the faculty of making fortunate discoveries of things you were not looking for)」という意味があるらしい。何だかベンチャーにも必要な才能みたいだ。

母から薦められた同名のタイトルの映画を観て、『セレンディピティ』という言葉の響きに憧れを抱いていた。偶然に出会った見知らぬ男女が、数年後、それぞれの電話番号が記された書物と紙幣を偶然に手に入れることで物語が展開するというのが、軽妙でロマンティックなこの映画のストーリーだった。

『セレンディピティ』の語源は『セレンディップの3王子(Three Princes of Serendip)』というおとぎ話にあると謂われている。この物語は、セレンディップという国(現在のスリランカ島)の3人の王子の冒険にまつわるお話だ。綿密に計画をたてて出発した王子たちであるのだが、旅は思い通りに運ばなかった。でも、さまざまな困難な出来事や災難に巻き込まれつつ、叡智を振り絞ることで予想外の貴重な体験をし宝物の発見をするというアドベンチャーな話だった。この物語から、幸運を神頼みするのではなく「不思議なことを追求する心的能力」ということを意味するようになったらしい。

実際のところ、ベンチャー企業で起こるさまざまな出来事もこれに近いところがあるように思う。事業計画書の緻密な計画や研究開発がその通りに進まないケースが圧倒的に多いのではないだろうか。その中にあって、計画が当初の予定以上に発展できるかどうかは、予想外の発見や発明をする『セレンディピティ』の才能によって運命付けられるように感じる。

『serendipity』という英単語にしても、何の関心もない人からすれば単にアルファベットが並んでいる単なる文字列に過ぎないが、これに興味を持って何らかの知識や教訓を得ようとする人にとっては学ぶことが多いだろうと思う。日常生活において存在していたり発生するさまざまな事象に、どれくらい深くそんな姿勢でいられるかが『セレンディピティ』という才能をのばす鍵となるのかもしれない。レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』にも通じるものを感じたのだが・・・。自然界や宇宙の不思議に敏感であった科学者や詩人たちにもこの能力が見出せそうである。

ソフィア・クレイドルは「未来社会におけるクールな携帯電話向けの電話帳」を研究開発するところから出発したが、未だそれは達成できていない。いろんな条件、制約や業界環境などに左右され当初の計画からすれば必ずしも思い通りに進んでいない。しかし、いろんな困難な事態や問題をスタッフ全員の知恵を働かすことによって、壁を乗り越える度に自ら成長すると共に予想もしなかった新しい技術開発に成功してきた。そして、それらが製品となり売上があり、幸いにも会社自体が生存しかつ進化を続けている。

苦しく厳しい経験や体験が存在するのなら、そこで得られるものにもそれだけの価値があるのではないだろうか。誰にも備わっていると思われる『セレンディピティ』を養うことができたら、獲得できるものも珍しく美しい宝物となるだろう。だから、そのためにも何よりもまず、『創める』というスタンスが大切になってくるように思える。

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2005 年 02 月 24 日 : イノベーション

過去に存在しなかった、「新しい価値」を創造し、それを世界マーケットに広めていくのは非常識なほどの困難が伴うものだと実感する。それが無名のベンチャーであれば尚更だ。だが偉大な遣り甲斐や人生最高の目標に向かって進むことができる。

全てオリジナルな発想で事を進めることも一つの手ではあるが、歴史に学ぶのも賢明な手段だと思う。創業の時に既に所有していたものの最近になって読破した良書がある。それはクレイトン・クリステンセン著の「イノベーションのジレンマ」だ。もっと早くに読んでおけば廻り道も少なかったと思える書物だった。

この本の中でも特に注目すべきところはこんなところにあると私は思った。それは世の中に受け入れられる「新しいテクノロジー」というものは、「機能性」⇒「信頼性」⇒「利便性」⇒「価格」といった尺度の順番でそれらが実際に採用されるという箇所だった。最初はその機能があるだけで売れる。しかし、次第に信頼性が求められ、使い勝手が良いものが支持され、最終的に値段(コストパフォーマンス)の勝負となる。

創業初期の頃は、慣れない営業トークでコストパフォーマンスを強調するような最悪のマーケティングを展開していた時期もあったので、挫折感を味わうことでマーケティング戦略の誤りを速やかに理解することができた。

例えば、SophiaFrameworkという製品は、米国クアルコム社BREWというプラットフォーム上で、マルチウィンドウGUIを提供する世界で唯一のソフトウェアだ。これをコストパフォーマンスでお客さまにプレゼンするのはいかなる天才であっても苦戦を強いられるだろう。

実際にこの製品を採用されるお客さまは、BREWでGUIでクールなアプリケーションを手間暇かけずにエンドユーザーに提供できそうだという理由で、コストパフォーマンスを精緻に評価せずに採用する場合が大半だった。これは新しいテクノロジーが有益であるのならば、先ずは突出した機能そのもので売れるという実際の証明と思う。

ソフィア・フレームワークも開発を始めてからまもなく3年が経過したが、この過程においてさまざまな先進的アプリケーションの開発をお客さまと共に推進してきた。そして、実際の現場からソフィア・フレームワークに不足している機能や改善すべき点、不具合、スピードやサイズに対する要求などいろんなマーケットニーズを次のバージョンに吸収する努力を欠かさずに継続した。

結果として、ソフィア・フレームワークの信頼性というものが時間の経過と共に格段に飛躍したのだった。機能だけで売れるフェーズが過ぎれば、次は信頼性の基準でその製品は売れてゆく。だからこそ、機能だけで購入されている間に、信頼性を高める努力を怠ってはならない。できれば、使い勝手といったような利便性や低価格で提供するための段取りまで含め、先回りして戦略的に事業を展開できればベストであろう。

2005 年 02 月 23 日 : ストラテジックマインド

「0」、「1」、「2」、「3」、・・・「9」という10個の数字を並べた、所謂、順列の組み合わせがどれくらいあるのか瞬間的に想像できるだろうか?

電卓を叩いてその順列の組み合わせの数、即ち「10!=1×2×3×・・・×10」を計算してみると、「3,628,800」という数字が液晶画面に映し出された。たった10個の組み合わせだけでもこんなにも膨大な数となってしまう。

現実の世の中では選択肢とその組み合わせは数え切れないくらいある。だからこそ、同じように見える事業でも、それぞれの切り口に対する見方や優先順位をどのように意思決定し行動するかで、実際の結果は全く異なった様相が現れる。

いつも行列ができて繁盛しているラーメン屋もあれば、昼食時ですら閑古鳥が鳴いている寂れたラーメン屋もある。事象の全ては経営者がいろんな物事の切り口の視点をどのように選択し、考えて行動しているかという結果に過ぎないのかもしれない。しかし、これこそが戦略的な思考であり、経営者が最も大切にすべき行動様式なのだ。

創業時におけるソフィア・クレイドルの戦略的な視点というのは以下のような感じだった。

ソフィア・クレイドルは携帯電話向けのソフトウェア製品の開発と販売の事業を展開している。商売の基本は“まず最初にどこで創めるのか”ということである。分かり易い店舗の例で譬えるのなら、同じ店であれば人通りの多いところに開店した方が売上が大きくなるのは小学生にでも分かるだろう。しかし、現実の事業では人通りの多いところが見えない場合が多く、この選択と集中が意外に難しい。

携帯電話向けソフトウェア開発事業を創める時に真っ先に注目したのが、世界における携帯電話出荷台数のメーカー別シェアの数字だった。世界的に売れている、或いは売れるであろうから数の多いプラットフォームを選択した方が、人通りが多い通りと同じだから商売が成功する確率は高まる。

物事を俯瞰する姿勢が、勝てる戦略立案には求められよう。創業当時はそんな事情で携帯電話の世界シェアを調べて考えていることが多かった。以前の日記で紹介したデータであるが、3年前とほとんど変化はないのだが、携帯電話の世界シェアは次のようになっている。

--------------------------------------------
 携帯電話の世界マーケットシェア
--------------------------------------------
 ノキア        30.9%
 サムスン       13.8%
 モトローラ      13.4%
 ジーメンス      7.6%
 LG          6.7%
 ソニー・エリクソン  6.4%
 サジェム       2.5%
 松下         2.4%
 NEC         2.0%
 三洋         1.7%
 その他        12.8%
--------------------------------------------
 合計         100.0%
--------------------------------------------
           ( 2004年3Q)

世界の携帯電話業界をよくご存知ない方は、この表を見て意外に思われるかもしれないが、日本の携帯電話は世界マーケットでは全く売れていない。実質的にはソニー・エリクソンは海外に含めてよいので、世界マーケットでは海外の携帯電話メーカーが90%以上のシェアを占めている。

創業当時、この数字を見て思ったのが、日本国内でしか使えないようなソフトウェアテクノロジーは世界マーケットでは確実に淘汰されるだろうということだった。

であれば、最初から海外でビジネスを創めるというオプションも有り得たが、敢えてそれは選択しなかった。幸運にも国内でも海外マーケットを対象とした携帯電話向けソフトウェア事業が可能だった。そして、日本でしか得がたいような都合の良い点もあったからだ。

それは携帯電話そのものの進化と関係している。どんな製品にしても、それが多機能、高付加価値化してくれば、必ずそこにはレイヤー構造のようなものを製品のアーキテクチャーに見出せる。ちょうど、ソフィア・クレイドルを創業した2002年当時、携帯電話業界はそんな変化の荒波に揉まれていた時期だった。

携帯電話のOSがいくつかに統一される兆しがあった。それからアプリケーションを開発するための全世界で利用可能なプラットフォームとしてJavaBREWといったようなものが姿を見せつつあった。JavaやBREWの上であれば、世界マーケットにおいて携帯電話の種類に関係なく、ソフトウェア事業を展開することができた。しかも、国内マーケットに普及している日本製の携帯電話のハードウェアは世界で最も進んでいたので、先進的なアプリケーションを世界に先駆けて研究開発できる可能性があった。

2005 年 02 月 22 日 : スマッシュヒット

しっかりとボールを見極めて、そのボールをバットの芯で捉え、鮮やかなスマッシュヒットを放つ。バッティングの基本はこんなところにあるんだと思う。

いろんな人の仕事のアウトプットを見ていると、人それぞれに様々な多様性を発見できる。定量的に評価すれば、Aという人はBという人の100倍以上のパフォーマンスを発揮していたりする。働いている時間は100倍という訳でもなくほとんど変わらないのに、結果的にそんな大差となる。

それぞれの人の行動というのは、時間と空間と行動という3つのパラメーターの関数になっているように仮定できそうだ。何も考えず只管長時間労働したからといって、必ずしも良い結果が得られるとは限らない。長く活動していればそれだけ多くの気付きを得て、素晴らしい業績を残せる可能性は高まるかもしれない。

ボールをよく見ないで、バットを振り回していても虚しく空を切るだけに終わる場合が多い。よく見て絶好のコースに来たボールだけを確実にスイングする方がヒットとなり、ボールは美しい軌跡を描く。

このように野球ならば当たり前のことが、現実のビジネスの場ではなされていないように思える。常に着実を心掛けて、その時その状況におけるチャンスをよく見極めて行動している人だけが、他の人の何百倍ものダントツの業績を残す傾向にあるようだ。

本当に何が大切であるか、日頃から物事の本質を見抜く訓練をしていれば、その振る舞いが自然に本能的な行動へと昇華し、短時間しか仕事をしなくとも圧倒的なパフォーマンスを発揮できるような気がする。

21世紀の時代では独創的な発想というものが貴重な才能として社会から評価されるだろう。凡人が独創性を身に着けるためには、様々な分野の物事を学ぶ必要がある。しかし、時間というものは1日24時間と有限だ。限りのある時間だからこそ、その時、その場所で本当に最適なものだけを選択して、学んだり、考えたり、体験したりする、野球で言うところの選球眼を伴ったバッティングセンスのような思考と行動が大切になって来るだろう。そんな予感がする。

2005 年 02 月 21 日 : 小さな組織にて

1980年代、表計算と言えば「ロータス1−2−3」のことだった。2005年の今、表計算で「ロータス1−2−3」を使う人は珍しく、大半の人は「マイクロソフトExcel」を利用している。

1988年のころの興味深いデータがある。同じ表計算ソフトの開発チームの規模なのだが、「マイクロソフトExcel」は15名で、「ロータス1−2−3」は100名の組織で製品開発がなされていたという。最終的には、圧倒的に少ない人数のチームで開発された「マイクロソフトExcel」が、「ロータス1−2−3」を駆逐してしまった。(「私がマイクロソフトで学んだこと」、32ページ)

これは「大きければそれで良いのだ」ということが通用しない典型的な例といえるだろう。特にソフトウェアの開発では、できる限り少ない人数でチームを構成するのが重要だと思う。他の仕事でもそうかもしれない。

その理由はいろいろと考えられるが、人数が少なければ一人当たりの責任の範囲や度合いが大きくなり、それだけ頑張れるし、仕事の達成感を実感できるからではないかと思う。人数が少ないといろんな創意工夫もなされる。

人数的な制約があれば、創れるものにも物理的な限界がでてくる。本当に欠かせない機能だけに絞って重点的に開発することになる。よく考えてみると当たり前のことかもしれないけれど、利用者が普段使っている製品機能はほんのごく僅かだ。こんなところにもパレートの法則(80対20の法則)は有効に働いている。

「シンプル・イズ・ザ・ベスト」ということかもしれない。シンプルな製品は売れるパターンの一つだ。人数が少なければ必然的にシンプルな構成の製品を創らざるを得ない。大規模な組織になってしまうと、誰もが余分だと感じているのに新機能を付けてしまおうというような発想も起こるかもしれない。こんなことをすれば、逆に製品そのもののトータルシステムとしての価値が低下してしまう。

ボトルネックの法則によれば、ソフトウェア製品のクオリティというものは、その製品を構成する数多くの部品やパーツの性能で最も低いところで決まると一般にいわれている。少人数なら、なるべく同じレベルの人材を集めることも可能となる。そのチームの範囲内でできる仕事を見つけて、だんだんとクオリティの高い成果をあげることができる。

マイクロソフトがロータスよりも一桁下回るくらいの規模のチームで、同じような製品開発することで得られるもう一つの大きなメリットがあった。それはチームを構成するスタッフたちの成長だった。少ない人数で大きな仕事をしようとすれば、真に重要なことは何かということを自問自答したり、短時間で集中して仕事をこなす術を考案したり、無駄な仕事をしない習慣が自然に備わってくるそうだ。プロフェッショナルなアスリートたちがオーバーフローするような訓練や練習をすることで、自分の筋力を鍛えるのと同じようなことが現実の仕事においても求められる。

同じ仕事をできるだけ少ないチームでやる方法について、真剣に考えている人は意外に少ない。

2005 年 02 月 17 日 : 海の彼方には

創業してからこれまでの3年間は国内のマーケットを中心に事業を展開してきた。今年から始まる次の3年間で海外のマーケットへと徐々にシフトしようと計画している。国内のマーケットを1とすれば海外のマーケットは15〜20と圧倒的な拡がりがある。しかも、携帯電話の国内市場は飽和状態だが、海外は中国、インド、ロシアを中心に現在も凄い勢いで伸びている。

国内マーケットに絞ってきた理由は、携帯電話のハードウェアそのものが日本のものは、海外と比較してダントツに進んでいたからだ。しかし、昨年後半あたりから、海外でもカメラ付きやゲームができる携帯電話が続々と出荷されるようになってきた。私たちが研究開発してきたソフトウェアのニーズが海外マーケットで急激に立ち上がりつつある。ちょうど一年前は海外からの問い合わせは皆無だった。でも、最近では毎日のように世界中の国々から問い合わせが入るようになっている。昨年の秋以降、この傾向が顕著に現れている。

京セラや日本電産、SONY、HONDAなどの偉大な企業の創業の頃を研究していると、何れも海外での販売をきっかけとして大きく飛躍してきたことが分かる。しかも、海外の場合は国内とは違って一瞬のうちに重要な意思決定がなされる傾向が強く、これらの企業は何れもその一瞬のチャンスを見逃すことなく掴んでいる。そんなチャンスが訪れるであろうことを意識して、それに備えることが肝心だと思う。

ソフトウェアビジネスの場合、今やマーケットから必然的に求められているのは、「水準は世界標準」ということだ。現在、皆さんが使っているパソコンのOSにしても、ワープロにしても、メーラーにしても、ほとんどがそうではないだろうか。そんな背景があるので、その先に広がるのはグローバルなスケール感のある未来と思う。

これまでは日本語ベースで研究開発を進めてきたが、世界標準を目指そうとするならば、英語を使わざるを得なくなってくる。そうすることによって、リアルタイムに製品を全世界に同時に供給することができる。いわば、スピードを重視した世界レベルの経営がその時初めて実現されることになる。日本語と英語には、言語学的に大きなギャップがあるようで、自由に使いこなすのには苦労する。しかし、もはやそんなことも言っておれない状況になりつつある・・・。これからは、必要に迫られて英語をオフィスのスタンダードな言語にしてゆくことになるのだろう。昔は、単に大学に入るためやTOEICのために勉強した英語だが、これから暫くは実質的に英語を勉強しなければならない状況に追い込まれてきた。

英語で仕事をしていると意外に良いことがあるのが分かる。企業というのはそこで働く人によって支えられている。その会社に集まってくる人材のスキルや人格、才能といったものの集積及びそれらの組み合わせから発生するシナジー効果が全てと極論しても良い。

日本では優秀な人ほどベンチャーではなく大企業で働きたがるようだ。でも海外では全くその逆だ。優秀な人から順番に、伸び盛りの急成長ベンチャーで働く、或いはそんなベンチャーを起業する未来を選択する。日本人だと採用できないような人材が世界レベルだと採用できる可能性が高くなる。実際、ソフィア・クレイドルでも海外からのインターン生を募集すると、世界中から優秀な人材が応募してくる。

それから、もう一つ大きなメリットをあげるとするならば、ソフトウェアビジネスで最も重要なポイントは、如何にして20代前半の有能なプログラマーに活躍してもらうかということがあるように感じている。日本の場合は、中学高校とコンピューター教育を真剣にやっているところは皆無に近い。有名大学に入るための教育という名の受験勉強が熱心になされている場合が圧倒的に多い。たとえ有名大学に入学できたとしても、実社会で実際に役立つような教育がなされている例は珍しい部類だろう。

海外を調査してみると、日本とは全く異なっている事実に気が付く。それは、中学や高校の段階からコンピューター専門の学校があって、10代の頃から、将来のコンピューター技術者の育成に向けた教育がなされている。しかも、若い頃は天才プログラマーとして活躍していたような異能が教育に携わっていたりする。例えば、以前ご紹介したアラン・C・ケイ氏もその一人だ。コンピューターだけでなく、いろんな分野で、その人の人生の目的や目標に合わせた教育がなされている。だから、20代前半の年齢でも充分に実務に耐えうるようなスキルを持った人材が育つのだろう。

プログラマーの場合、20代は最も充実した年代であり、このときに世界的な業績を残した天才と称されるようなプログラマーは数え切れないほどいる。日本では、そんな天才プログラマーを発掘するのは至難の業だが、世界中から探すとなると、スキルやモチベーションも含めて採用しやすくなる。

それから、ソフィア・クレイドルで働きたい海外の若者たちのエッセイとか読んでいると、弊社の場合、何故かヨーロッパからの希望者が多いのだが…。京都にある会社というのはとても魅力的らしい。いろんな寺院や自然、文化、そして歴史が古く、極東の地ということもあって、興味深いらしい。そんな地の利を活かして、海外の人材をこれから少しずつ増やして、この3年間で海外へのシフトのランディングを完了できたらと思っている。

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2005 年 02 月 16 日 : 講演のご案内

海外インターン生でいつも大変お世話になっているアイセック同志社大学委員会様の主催の起業家講演会で話します。ご興味のある方は是非ご来場ください。

題目:「ベンチャービジネスの立ち上げ方」
日時:平成17年2月19日(土)14時〜16時
場所:同志社大学今出川キャンパス 講武館106
開場:13時30分

<講演概要>

ベンチャービジネスの中にあって、イノベーションとマーケティングで勝負をしなければならないハイテクベンチャーを立ち上げるのは並大抵のことでないように実感します。何の知識も持ち合わせず、勢いやノリといった感覚で始めるとすれば、そこには大苦戦が待ち構えていることでしょう。それはそれで良い経験にもなるのですが、その先にはもっと多くの難関があるのだから、最初から分かっている問題は事前に対処するのがベストです。

多くのベンチャーが廃業したり、M&Aされたり、当初の思惑と違ってやりたくないことを仕事にしていたりします。そんなことになれば、何のために一大決心をしてベンチャーを始めたのか、その意味が分からなくなります。

ほとんどのベンチャーは立ち上げの時に、最初から組み込まれた問題に起因して、立ち行かなくなったり、思うように事業が運ばなくなったりします。何故、そのような事態が発生するのかを自分なりに考えることもよくあります。私が思うには、全てはベンチャー起業について学ぶ場が皆無に近い状況が今日の事態を招いているように思えてなりません。

私自身、右も左も分からないままに起業したのですが、しなくてもよいことをしていたり、悩まなくてもよいことに悩んだり、やるべきことをせずに苦労することが多かったように思えます。事前にそんなことを少しでも知っていたら、もっとスムーズに事業を軌道に乗せられたのにというような反省も数多くあります。

創業して3年という年月が経過しました。最初は売るべき製品も存在しなくて、それを凌ぐために廻り道しつつ、いろんな創意工夫をしました。そのような経験を通じて、私たちも成長すると共に会社も次第次第に良くなってきました。現在では、既存製品の売上だげで月間固定費を充分に上回っていますので、売上の全額を新規の研究開発に当てることもできれば、何も働かなくとも暫くは安泰というようなところまできています。実際には、会社をもっと伸ばしたいので働かないというのはありえないことなのですが…。

ソフィア・クレイドルは、スタッフたちも含め、短期的な成長ではなく、長期的に想像もつかないほど成長することを目指している会社です。だから、最初から猛ダッシュすれば短期的には大きく成長するかもしれません。しかし、長期的には息切れしかねないため、研究開発は他のベンチャーでは類を見ないほど、ゆったりとしています。スタッフたちは完全週休2日制ですし、ソフトハウスでよく見られるような不眠不休で働いているスタッフは一人もいません。

新しい何かを創造するには、我武者羅に働くのもいいのですが、それだけでは何かが不足するように感じています。いろんな模索をしつつ、ハイテクベンチャーを成功軌道に乗せるように努力しています。

ソフィア・クレイドルというベンチャーを創業してから3年の年月で多くを学びました。この過程で得た多くの気付きは、他のベンチャー起業にも少しは役に立つように思えます。少なくとも、同じような失敗をした時の対処としては参考になりそうな気がします。

学校や会社や家庭では、なかなか起業を成功させるための方法論について学べません。この日記でお話してきたことはまだまだ極僅かな気がします。他で学べないようなことを今回の講演会ではご紹介できればと思います。

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