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2005 年 05 月 09 日 : Core concept -11-

最近のAUの携帯電話を利用されている方ならBREWというキーワードはご存知かもしれない。4月のKDDI発表によると、BREWが搭載された携帯電話普及台数が1000万台を突破したという。いまから3年前、私たちがBREWという新しきプラットフォームに着目し研究開発をスタートした時、国内マーケットにBREW搭載携帯電話はどこにも見当たらなかった。世界を見渡せば辛うじて、米国と韓国にそれらを合計しても数百万台というちっぽけなマーケットが存在するのみであった。

そしてBREWに関する研究開発に着手してから一年間というものは国内のBREWマーケットは文字通り"ゼロ"であった。しかも2003年から出荷が始まったBREW搭載携帯電話の出荷台数は伸び悩んだ。

そんな状況で、何故BREWを選択したかという意思決定の理由は、今後のソフィア・クレイドルの経営において極めて重要な要素と思われるので、今日はそのあたりの内容を簡単にまとめてみる。

モノが売れるには原因があるから結果としてそうなるわけで、その原因を創り出すことからベンチャー経営は始まるという風に考えた。モノが売れるということはそれを買う人がいるということである。モノ自体が機能や品質の面で他よりも優れているのは当然であるとしても、肝心の買う人はどこにいるのか?―――ということが最初の最大の課題であった。

マクロ的な視野から俯瞰すれば、日本の人口は”減少”の一途を辿っている。しかし、世界の人口は”爆発的に増加”しているという点に、着目すべきなのではないかと考えた。その事実から生じるシンプルな発想は、世界マーケットは拡大してゆくが国内マーケットは縮小の一途を辿る運命にある、ということである。おそらく今後数十年間はこの傾向が続くものと予測されよう。

ビジネスにおいて成功を収めるには、できるだけ長い期間に渡ってマーケットの伸びが期待できる方が良い。もしそうだとすると、仮に平凡な仕事をしていたとしても、上りのエスカレーターに乗るようにしてものごとは運ばれてゆくだろう。だからこそビジネスとして成立するかどうかの判断基準は、世界マーケットに持っていける製品を創れるか否かであった。そんな中にあって、BREWというプラットフォームは私たちにとって申し分の無いものであった。BREWは"情報通信"という国にとって商業的にも軍事的にも極めて重要なテクノロジーを提供する国策企業的な位置付けにあるUSのQualcomm, Inc.によるものなのだ。これが世界マーケットに拡がってゆくのは時間の問題と見なすことが出来た。

携帯電話だけでも数十億台ものポテンシャルがあるのに、私たちが始めた頃は、この広い世界マーケットには数百万台しかBREW搭載携帯電話は普及していなかった。何よりもスタッフがBREWというプラットフォームにテクニカルな興味を持ってくれたのが有り難かった。才能のあるスタッフが、興味や関心を持ち、熱意と情熱をもって研究開発に取り組めば、売れる資格の有る製品は必ず創れる。その時私はそう思った。

難しかった判断は、そのマーケットがいつからブレークするのか、そのタイミングであった。創業間もないベンチャーであるだけに、マーケットを動かすだけの体力は未だ無い。マーケットの変化の兆しをできるだけ早く察知し、それに向けた対応をするしかなかった。

通常の研究開発型ITベンチャーが創業時にするような受託案件もあまり受注せず、製品の研究開発に専念した。自らが主体となって自分たちの意志で100%自律的な経営をするというのが起業の理由でもあった。VC(ベンチャーキャピタル)などからの資金調達や銀行からの借り入れも創業以来ない。自社オリジナルのソフトウェアのライセンスを販売するビジネスなので仕入れもない。だから自己資本比率は100%に近く、経営には自由度と自律性がある。

ターゲットとすべきポイントは、数千万円かけてやる最初の研究開発投資をどういうタイミングで回収するかという一点に絞られた。研究開発だけをしているとお金も出てゆく一方なので、そのままだと何れ資金も枯渇し、倒産という憂き目を見ることに成りかねない。だから、研究開発をしつつその資金を得るために、スケールとしては、ソフィア・クレイドルの基幹製品よりは小粒なものも並行して研究開発し、その製品化と販売によって本命の製品の研究開発を支えた。

携帯電話の世界マーケットを考えた上で、製品寿命も長く、多くの人々に利用してもらえそうだと思ったプラットフォームがもう一つあった。それが携帯電話向けのJavaである。JavaはNTTドコモやボーダーフォンの携帯電話にも搭載され、3年前の2002年、既に数千万台ものマーケットが国内に実在していた。だから人々に必要とされ、売れる製品さえ創ればそこから収益を上げることは不可能では無かった。その時に閃いたのが、Javaのアプリケーションを圧縮するツールであった。携帯電話のアプリケーションにはサイズ制約があり、その問題をどうやってクリアすればよいかという点に、お客さまのニーズは確かに存在していた。

過去にこの日記にも記したように、このJavaアプリケーション圧縮ツールSophiaCompress(Java)の製品化と販売はさまざまな問題が発生したが、そんないくつかの壁をなんとか乗り越えて製品は売れるようになり、ソフィア・クレイドルの本命ともいえる基幹製品の研究開発を支えてくれた。最近では、SophiaCompress(Java)に対する海外からの問い合わせも増加の一途を辿り、今月ようやく海外対応版を出荷する予定である。

研究開発型ベンチャーの場合、初期の研究開発投資をどうやって賄うかという大きな難関が立ちはだかる。私たちは自由に好きなことを自分たちの意志で決めて実行することに重きを置いた。だから外部からの資金調達には最初から消極的なスタンスを取った。そしてそのためにはどうすれば良いかをじっくりと考えた。またできるだけ永続するようなスケール感のある企業へと育てたい夢と希望もあったので、常に世界的な視野からマーケットを眺める努力を欠かさなかった。

(つづく)

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2005 年 05 月 02 日 : Core concept -10-

マラソンは一人で42.195キロを駆ける陸上競技だ。大きな組織に属していれば、訓練や施設などの練習面で恵まれるかもしれない。けれども、レースの行方を決める要因はその選手の個人的な能力や才能、情熱にかかっている。複数の有力選手がチームにいるからといって、駅伝のようにリレーするわけにもいかない。

ベンチャーはゼロからスタートするものである。最初は小さな存在に過ぎないのに、自分よりも理論上強い競争相手と勝算のある戦いをせねばならない。既存の競争相手には歴史があり、それ故に人材や資金、設備の面で有利なポジションにある。創めたばかりのベンチャーがそんな相手に真っ向から挑めばたちまち辛酸を舐める結末に終わるだろう。

だから最初はできるだけ競争の無い場を選択して行動するのがベストである。たとえ戦わねばならない状況に追い込まれたとしても、自分の強みを活かして1対1の戦いに持ち込める事業領域を予め選ぶということが何よりも肝要だ。自分以外に誰一人いない砂漠のようなところでビジネスを創めるのには勇気がいるかもしれない。しかしそれこそがベンチャーの定義といってもよい。

例え話で言うならばこんな感じである。最初、競合が全く無ければ、42.195キロのマラソンもただ一人で独走しているような状態に近い。それがレースの終盤の決め手である35キロまで続き、その時になってようやく競合がそれに気が付いてスタートした時には時既に遅しということである。オリンピックのゴールドメダリストにしても35キロ先をゆく素人ランナーを退けるのは至難の業であろう。最悪、マッチレースになったとしても10対1よりも1対1の戦いに持ち込むことができれば勝算というものも充分に見込める。

ベンチャーが離陸できるか否かはこの戦略がうまく功を奏するかに掛かっている。大企業であれば優秀な人材が無尽蔵にいるが、ベンチャーではそれは望めない。しかし自分を含めて最低一人は闘える人材がいるのだから、戦略と戦術次第である。数は少ないかもしれないが情熱のある人材が得られるかもしれない。

仕事の結果において最も大きくモノをいうのは最終的には情熱である。ベンチャーでは、その仕事が好きだからやっているというのが大半のケースであり、それに賭ける思いや情熱だけは他の誰にも負けないくらい持っている。それこそが1対1の勝負を決する分かれ目となるのだ。

誰しも倒産の憂き目にだけは会いたくないものだ。そのためにどうすればよいのか、私はそのことを第一に考えてソフィア・クレイドルというベンチャーを創めた。

携帯電話のソフトウェアは物理的、コスト的な制約のため、プログラムのサイズをできるだけ小さく抑えて作らねばならない。現段階においては量よりも質が重視される。一人でもいいから、小さくてクオリティの高い究極のソフトウェアを創れるプログラマーが欲しいという世界である。しかし、日本のソフトウェア業界では、プログラミングの仕事の対価がプログラムのサイズに応じて支払われるという悪しき慣行が長く蔓延っていた。

全く同じ機能をするプログラムをAという人は1000行で、Bという人は100行でそれぞれプログラミングしたとする。携帯電話のプログラムであれば、真に評価すべきはBの仕事である。実は、それはAの仕事よりも何十倍、何百倍も価値のある内容なのだ。ソフトウェアの開発生産性で個人差が桁違いなほど顕著に現れる原因は大抵これに所以する。しかしながら、このことは一般には未だよく理解されていない。だから私たちのようなベンチャーでも入れる隙間を至るところに見出せる。

至近な例を挙げるならば、現在皆さんが使っているWindowsパソコンにしても、1970年代末にはXero Altoというコンピューターにその原型が実現されていた。しかし実際に一般の人々に利用されるまでには10年以上もの時を要した。マイクロソフトが実用化するのにそんなに時間を要したのは、それだけ大きなプログラムを記述せねばならなかったということだ。Xero Altoでは、コンピューターの命令自体がシンプルに設計されていたので、Windowsのようなシステムを開発するのに、長い長いプログラムを書く必要は無かったのである。

競合と1対1で戦うことになった場合は、どうすれば1人で競争相手の10人分、100人分のパフォーマンスを発揮できるだろうかというところに思考を凝らした。そのヒントはXero Altoにあったと言えるかもしれない。

(つづく)

2005 年 04 月 30 日 : Core concept -9-

ゴールデンウィークだから会社は休みなのだが…。結果的に仕事をしていることになるのかな?USやUKのアントレプレナーたちとメールでコミュニケートしている。慣れない契約の英文に少々悩まされてる。スタッフはゆっくり休暇を取れてるようだ。社内のメーリングリストは平穏を保っている。

過去、仕事として数々の製品やサービスを手掛けてきた。売れてヒットし歓喜に酔いしれる傑作もあれば、その一方で残念ながら全く売れない駄作もあった。振り返れば両極端ではあるが、その差は一体何なのだろうか?どこにあるのだろうか?製品の機能としては何ら申し分無いんだけどマーケットから評価されないものが意外に多い。ほんの紙一重の差なのに、言葉では表せないその壁を越えられない製品が巷には溢れんばかりだ。思うに、そこそこのモノなら創れるのだが、本当に売れるレベルまで到達しているものは極めて少ないということかもしれない。

その製品やサービスが売れる最終的な決め手は何なのだろうか?

この根本的な問題について、その本質が見抜けるかどうかでその商売が繁盛するか否かが決定付けられるように思えてくるのだ。真に良いモノを創り正しくお客さまに告知できれば、黙っていても売れるという信念が心に刻まれている。

華あるアーティストのコンサートのチケットはそう簡単には手に入らない。アリーナなら尚のこと。プラチナチケットというものはそのアーティストのファンであればあるほど、そして希少価値があればあるほど頭を下げてまでも欲しい。オークションで正価よりも遥かに高い値段でも手に入れたいと思うだろう。アーティストにとってはこれほど仕事冥利に尽きることはないかと思う。それがアーティストの心の深淵まで打てば響くポジティブフィードバックをもたらす。そして更なる傑作の創作に繋がるのではないだろうか。

私はそこに21世紀型ビジネスの本質が見え隠れしているように思えて仕方ない。同じ音楽というジャンルの中で数多ある曲の中でも人々の記憶に残る名曲もあれば忘れ去られる曲もある。長期的にヒットする曲はそうなるべくしてヒットしているようだ。その最終的な決め手は「フィーリング」だと言い切れる。なんとなく好きだから、訳もなくいいと感じるから、人はその曲を買うのだ。自分の感覚や感性に言葉でうまく表現できないけれども、違和感無くフィットするという理由で大半のモノが選ばれ売れる時代になってきたと思う。機能や効能だけでモノが売れる時代は去りつつある。そこに何らかの人間の感性に共鳴するプラスアルファーの要素、つまり「フィーリング」が必要なのだ。それが製品にインビジブルな存在感を与えてくれる。

見て聴いて触って試してみて、何となくいいから感覚的に好きだから、お客さまはそれを買う。お客さまの感情に訴えかけるようなモノだけが売れると極論しても良いと思う。少なくとも私はそんな基準でモノを選んでる。

ただ単にその機能を実現する製品を作るだけじゃだめで、「その製品を利用するお客さまのフィーリングとシンクロ出来るか否か」に勝負の全てがかかっているのだ。それは私たち人間すべてが持っていて人の優れた部分である知性や感性のシンクロするところにあると思う。ゴールデンウィークの長期休暇で、普段気付けないようなことを感じながら過ごせるのはいい。何ごとも思いから始まる。ちっぽけな意識の差に過ぎないかもしれないが、それが映し出す鏡像は果てしなく偉大なものへと変貌を遂げることすらある。

(つづく)

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2005 年 04 月 28 日 : Core concept -8-

1976年。Steven JobsSteve WozniakApple Computerを設立した。そのSteven JobsがXerox PARCを訪問し、現代のパソコンの原型とも謂われる”Xerox Alto”見て衝撃を受けたのが1979年。そして商業的には失敗に終わったが、1983年にApple Computerの歴史に燦然とした彩りを添えるLisaが完成した。その翌年の1984年には今日のAppleを世界に知らしめることになる”Macintosh”が発売される。最初の頃こそアプリケーションといえるものが何も無かったので、”Macintosh”の販売は苦戦を強いられた。しかし1987年に”HyperCard”と呼ばれる、誰にでも簡単にマルチメディアコンテンツをオーサリングできるツールのバンドルによって、その後紆余曲折はあったにせよ、Macintoshは世界の桧舞台にデビューしそこを一気に駆け上がっていった。

Microsoftよりも一歩先に世界へと躍り出たApple Computerも今日の革新の礎を築き上げるのに足掛け10年という長い歳月を要している。世の中に革新をもたらした企業の発展の歴史を眺めてみることがよくある。そういう風にして学んだ大切な事実がある。世界的に偉大なものほどその基盤の確立に時間をかけているということだ。それから創業の頃ほど前途洋々とした20代の若者たちが持てる才能を遺憾なく発揮しているのが伺える。若ければ三振することも確かに多いが、当たった時それは場外ホームランとなる。コンピューターやインターネットを駆使して成功した、偉大なITベンチャーにはそんな雰囲気が漂っている。

SophiaCradleというベンチャーを起業する際に最もよく考えたのはこんなところにある。それは次の時代を担う革新的ソフトウェアというものは自分の限界を知らず、敢えてそれに挑戦しようと志す、できる限り若いスタッフたちと共にやることによってそれは実現される可能性が高い。そして2−3年という短期間のプロジェクトではなく10年以上に渡って続く連続したプロセスの集積のように思った。また偉大なベンチャーほどその創業者たちの趣味が興じてそれが世界規模へのビジネスへと発展していった例が多く、その仕事を趣味として位置付け、仕事に人生の楽しみを見出せるかという辺りも重要視した。そんな観点から共にベンチャーを起業するスタッフを募っていった。

ソフトウェアビジネスは研究開発し製品化したプログラムをコピーしてそのライセンスを世界中に配布するという性格を帯びている。ある意味では音楽や出版のビジネスと同じだ。その内容さえ良ければ限りなく果てしなく売れる可能性を秘めている。一方ではその内容が100%の完成に向けて一歩及ばないだけでも全く売れない厳しい世界でもある。ほとんどのミュージシャンが曲を書いて演奏しても売れないと同じように、ソフトウェア製品も売れているものはほんの一握りでしかない。

しかし一握りでしかないのに売れているものは確かに存在し、売れる製品を販売している会社は連続して売れる製品を立て続けに発表している。これは浜崎あゆみのように売れるミュージシャンが次から次へとヒット曲を連発する世界に近い。そこには何か法則めいた原理原則のようなものがあるに違いないと私は考えた。それさえ発見し解明できたら。その原理原則に則って運用すれば、間違いなくビジネスとしては成功し、夢と希望を抱いて飛躍できる。

MS-DOSやBASIC、C/C++、Netscape Navigator、HyperCard、UNIX、Java等など、偉大なソフトウェア程、例外なくそのソフトウェア開発の初期の段階では10名以下の少人数からなる少数精鋭のプロジェクト組織によってなされてきた。また一人のSoftware Architectによる、そのソフトウェアについての首尾一貫し統一された設計思想があらゆる面で生きていた。SophiaCradleで研究開発しているソフトウェアは最初から世界マーケットを前提にしている。それだけに世界的に評価され売れたソフトウェアというものがどんなものでどのような背景で生み出されたものなかについては、いろんな製品について何度も何度も研究を積み重ねた。

以上のような背景もあって、SophiaCradleでは23歳の若きExecutive Vice President & Chief Software Architectが世界に向けたソフトウェアの研究開発の指揮を執っている。創業した時、彼は20歳になったばかりだった。けれどもプログラミング経験は10年以上有していた。だから仕事をする上で何ら問題はなかった。

時の経過と共に、Chief Software Architectの友人や後輩、それから紹介を通じて才能に満ち溢れ、有望な若きスタッフが海外からも集った。それにつれ製品の機能性、クオリティも飛躍していった。ミュージシャンと同じで人々に買いたいと思ってもらえるような、ソフトウェアを開発し製品化するにはそれなりの人材を集めなければならない。単にできる程度では駄目なのだ。しかもソフトウェア製品というものはチームで形づくられてゆくものだから、チームとしての統一感やハーモニーも重要になってくる。そんなところに最大の配慮を施して、長期的な視野から未来を展望しつつ少数精鋭のドリームチームを結成していった。

(つづく)

2005 年 04 月 27 日 : Core concept -7-

ベンチャー起業というものは創業者がそれまでに歩んできた足跡が映し出された万華鏡みたいなものなのだ。過去の出来事をバネにして飛躍し成功を果たしたベンチャーが多いように思える。だから何故ベンチャーを起業したのか?その経緯や背景を抑えて、それを経営の指針として大切に取り扱うべきだろう。

学生時代は必須科目の単位など多少の制約はあったにせよ、その当時何も束縛のない自由な日々を満喫していた。大抵のことなら自分だけの価値判断基準に従って自ら決めて行動するという風に。しかし大企業の一介のサラリーマンとして社会の門出に立った途端、そんな生活も一変した…。

お金を貰って働いているからそれは当然だろう?というのがほとんどの考え方なのかもしれない。大組織の中では本来の自分の意志に背くようなミッションも多かった。納得のいかない歯痒い日々がベンチャーを起業するまで延々と続いた。大企業というのは安定していて傍目から見れば確かに輝かしい。

実のところ、それ故に企業そのものの仕組みがタイタニックのように小回りの利かないものになっている。与えられた仕事を着々とこなすタイプの人には向いているのかもしれない。冒険好きの私にとってその環境は耐え難いものであった。生憎私は指示や命令通りに動けない性分だった。オフィスとかブランドは申し分なくカッコ良かった。個人的な見解だが、居心地は見た目ほどいいものじゃなかった。

誰しも取り柄が人それぞれにあるものだ。私の場合、子供の頃から数学の成績だけは抜群に良かった。だから将来はこの才能を伸ばせる職に就きたいと中学生の時分から自分の未来に期待を抱いた。その頃はコンピューターというものは今みたいにどこにでもある物ではなく、漠然とイメージするしかなかった。ひょっとしてプログラマーってカッコいい職じゃないかなと思いを馳せていたものだった。それは彼の有名なビル・ゲイツとポール・アレンが世界で初めてアルテアというマイクロコンピューター用にBASICというプログラミング言語環境を完成させた頃の話だ。

できるだけ自分の才能を開花させたいという一心から、大学では数学とコンピューターの研究に受験勉強よりも熱心に励んでいた。大学での基礎理論中心の勉強だけでは実践的でない。だから大学生の頃からプログラミングのアルバイトにも精を出した。周囲にいた友人の大半は家庭教師や塾、予備校の講師をしていた。当時としては少数派の学生プログラマーとして楽しくアルバイトに勤しんでいた。今を時めくマイクロソフトの存在がようやく日本でも微かに意識されるようになっていた。

その当時、パソコン(マイコンと呼んでいた)のメモリは64キロバイトしかなく、スピードもかなり遅かった。でも社会ではちゃんと役立っていた。コンピューターとしての性能なら、いまの携帯電話の方が格段と勝っている。だからこそ何十年後かに携帯電話がどのように進化しているのか?その未来にワクワク&ドキドキさせられる。

その時のワクワク感が一本の糸のように繋がって、幸いにもそれが切れずにソフィア・クレイドルというベンチャー起業に辿り着いたと謂えなくもない。その当時は「ベンチャー」とっても文字通り「冒険」という意味でしか通用しなかった。そんな時にとあるベンチャー企業でプログラマーをしていたのは自慢と言えるだろう。そしてプログラミングの面白さに文字通り嵌った。

社会に出て何年か過ごすうちに、大企業とは如何にして効率良くお金を稼ぐか、それが第一。それを実践する場であるかのような感慨が日増しに大きくなった。勿論、崇高な企業理念はあったが、皆が皆そのように行動しているとは思えなかった。自分のやりたい仕事に恵まれている人はほんの一握り。ほとんどの人はひたすら与えられた仕事のノルマをクリアするのに四苦八苦していた。

大抵の大企業は株式を公開している。その企業の形式的な所有者である株主の、経営に対するプレッシャーが外資系の企業は強い。最近では国内の上場企業にもそんな傾向があるように思える。企業は株主の意向をよく汲みとって運営されねばならない。株主が期待するのは端的にいえば配当の源泉となる利益そのものだ。しかも配当が高ければ自ずと株価も上昇し申し分ない。だから短期的な利益を追い求め、結果的に墓穴を掘る大企業経営者が後を絶たない。

社会人となってから初めて理解した重要な事は、大企業は世界を変革するようなブレークスルーを生み出す場では無いということだ。パソコンはマイクロソフト、インテル、アップル…、インターネットはシスコシステムズ、ヤフー、アマゾン…、携帯電話はクアルコム等など、挙げれば切りがない。身の回りにあるほとんどのものについて、その発祥の地はベンチャーだったりする。世の中が変わる革新的な技術やサービスはそのほとんどがベンチャーから産まれているのは確かな事実だ。だからそんな職に就きたければベンチャーを選択すべきだったのだ。しかし日本国内では将来有望そうなベンチャーを私は発見できなかった。プログラミングの分野でブレークスルーを起こしたかった私としては砂を噛むような思いの日々が続いた。

実際のベンチャー創業は39歳になってしまったが、20代後半の頃から既に私は心の片隅ではベンチャー起業を志していた。ベンチャーを創業し育てるにはいろんな知識や経験が必要なのでは?とその時はそう思った。多種多様なことを意識的に学び、ベンチャースピリッツを大切にし何事にも真剣に取り組むように努めた。そうやって勉強や訓練しながらベンチャー起業に備え、そして起業のチャンスをしっかりと掴もうとした。今から振り返れば、早すぎて悪いことは何も無いように思うが、過去の事実は変更できない。結局のところそれは良かったんだと、ただ前向きに解釈する方が良いだろう。過去はきっと変更できる。

(つづく)

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2005 年 04 月 26 日 : Style

これはベンチャー起業家として非常識な習慣の部類に入るのかもしれない。社外の人と会う機会が滅多にない。寧ろ今は極力会わないようにしている。営業のためにお客さまを訪問することもほとんどない。その分、未来に備えた戦略立案のための調査や研究、思索など、限られた貴重な時間をその一点に集中投入している。

サラリーマン時代、毎日のようにお客さまと顔を合わせるような仕事も経験した。100名を超える組織のマネージャーをしていたこともある。それなりに評価される業績を上げていたと思う。しかしそれは自分が真に望むスタイルではなかった。ある意味では多少無理をして自分を偽った人生を送っていた。

どちらかといえば、気心の知れた仲間たちと何処かに籠って、何か新しいことを企画したり構想したり創造するのが自分には合っている。結果的にそうする方がいいものが生まれる。そんなスタイルで思考することが自分のパフォーマンスを最大化してくれる。そのために起業したともいえるだろう。ベンチャー起業家といえば、多種多様な人々との多くの出会いの機会を大切にしてそれを糧にして成長するイメージが圧倒的に強いのではないだろうか。

私の場合、寧ろその逆で本当に親しく付き合える極少数の人たちの絆を大切にしてその分その絆を確かなものとすることで、他とは一線を画した成果を上げようとニッチな方向に努力している。さらに、多くの人と会わなければ、それだけ自分だけの時間を持てる。一人の人間が長く時間をかけてやった方が結果的には良いものが生じる仕事もありそうだ。最終目的はお客さまに喜ばれる新しい付加価値を創造するところにある。より良いもの創るところに今は精神を集中している。

常識というものからは、こんなベンチャー起業のやり方には間違いなく『×』印の烙印が押されるのであろう。しかし創業して3年以上経過するが、創業当初こそ売るべき商品が何もなくて苦戦したものの、このスタイルでベンチャーを経営していても売上と利益は増加基調にある。

ベンチャー起業家が出会いの機会を大切にすることを否定しているわけではない。またお分かりいただけると思うのだが、出会った個々の人々の価値を認めないのでもない。それは、仕事のスタイルの問題である。人付き合いが億劫なベンチャー起業家は、逆にそれを大きな強みに発想転換するような方向で戦略を練るのも一つの方法である。自分にあったスタイルが、自然な経営に繋がりそれが好循環をもたらしてくれるだろう。

勿論、今も閉ざされた環境ではなく、またもっと様々な人と会って刺激を受けるのが好きなスタッフがいれば、そのやり方も歓迎するべきと考えている。スタイルは人それぞれにあり、その人の個性を最大限に活かすようにして経営することが何よりも大切なポリシーであるように思う。

2005 年 04 月 25 日 : 止足の計

二千数百年以上も昔の中国。秦の始皇帝が天下を統一するまでは、群雄割拠の戦乱の世が何百年も続いたという。そんな不安定な時代を賢明に生きのびるための智慧として、実にさまざまな思想や哲学といったものが生まれた。その中でも群を抜いて優れたものは今も古典として語り継がれている。

中国は土地も広大であれば、人口も日本とは桁違い膨大な数に上る。それだけにそんなところで天下統一を目指して戦いに次ぐ戦いをしたにしても切りがない。また常に戦争に勝つのも至難の技だろう。そのような状況の中で生まれた叡智が、今も世界中で多くの人々に繰り返し読まれ続けている古典の一つ「孫子」の兵法である。

「孫子」の謀攻篇・第三の文章に次の一節がある。

是の故に百戦百勝は
善の善なる者に非ざるなり。
戦わずして人の兵を屈するは
善の善なる者なり。(「孫子」謀攻篇・第三より)

これは数多くの「孫子」の戒めの言葉の中でも名言中の名言に類するものと謂われている。真の智将というものは、何事にも戦わずして勝つということを意味する。誰にも気付かれもしないで勝利することが最上であるとしている。

勝つにせよ負けるにせよ、戦争をすれば必ず互いに深いダメージが伴う。その時たまたま勝ったに過ぎないのにそれでいいと思ってしまう。しかし戦国時代の古代中国のごとく、その相手が無数にいるとすればそんな戦いに常勝するなんて天文学的に低い確率でしかあり得ない。確実に言えるのは無闇に戦争を続けているといつか敗れるということである。

老子」の第四十四章と第四十六章に示唆に富んだ文章がある。

足るを知れば辱しめられず、
止まるを知れば殆うからず。
以って長久なるべし。(「老子」第四十四章より)

禍は足るを知らざるより大なるは莫く、
咎は得るを欲するより大なるは莫し。
故に足るを知るの足るは常に足るなり。(「老子」第四十六章より)

事足れりとすることが大切で自らをわきまえて真の意味でバランスをとる事が重要という「止足の計」(「知足の計」)の訓えだ。「孫子」の「戦わずして勝つ」の原点はこんなところにあるのかもしれない。ベンチャーの世界は倒れ、躓くことが日常茶飯事のようである。そんな時、戦国乱世、嘗て中国にて培われてきたいわば人生の智慧としての名言の数々は、過酷な運命に曝される創業期のベンチャーが弛まなく成長するための貴重な糧となりそうだ。

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2005 年 04 月 23 日 : ハイブリッド・パワー

今日はいま話題の「ビジネスを育てる」ポール・ホーケン著を読書していた。これから起業される方にとって参考になる書籍として推薦できる。著者が創業したのはいまからかれこれ40年近くも前の話らしい。

いまでこそエリートだからその多くがベンチャー起業への道を選択する米国もその当時、日本と同じようにベンチャー起業を志す人は変わり者だったようで…。どの世界も時代は常に移り変わっているようだ。

この本の中に興味深い一節があった。

植物や動物が混血すると、時に「ハイブリッド・パワー(雑種の力)」というものが生まれることがある。混血する種それぞれよりも優れた特性を持ちはじめるのだ。…(P.252)

これを読み、ソフィア・クレイドルという組織は「ハイブリッド・パワー」を推進力にしているかもしれないと感じた。

スタッフの国籍はルーマニア、中国、セルビア・モンテネグロ、日本とさまざま。学生時代の専攻は文学、数学、物理、情報、電気・電子等など多岐にわたる。お互いに刺激を受けながら相乗効果を増しながら成長できるチャンスがあるというのは恵まれている。

2005 年 04 月 21 日 : Core concept -6-

今日は朝からiTunesのラジオ番組SmoothJazz.comの音楽を流していた。すると何だかアイディアらしきものが形作られてゆく。今日はこんな言葉が発端だった。成功とチャンスをめぐるものとは、である。チャンスは誰にも平等に訪れるのだろう。けれどもそれを掴み取る者はほんの一握り。

あの人は運が良かったと謂うけど、実はその人が払ったインビジブルな努力を知る者は少ない。その事実に気付けば、日頃から目に見えないチャンスを探求したり、まだ隠されている至宝のために、孤独に努力する姿勢の重要さが分かる。文章にして表現すれば単にこういうことになった。成功というものがあるとするならば、その本質はきっとこんなところにあると思う。

スポーツの世界では、ピンチの後にチャンス有りと謂われる程、ピンチとチャンスは隣り合わせの位置関係にある。ビジネスの世界でも同じく、チャンスを掴もうとすれば必ずピンチも一緒に伴ってやってくる。況してベンチャーであれば、点と点が繋がって曲線になるくらいにピンチに次ぐピンチの連続そのもの。けれどその曲線の反対側では、チャンスの軌跡が同時に描かれているのも真実の姿である。何がなんでもリスクを避けたい人にとっては、こんな世界は以ての外かもしれない…。

毛利元就の三本の矢の教えにもあるように、ピンチを乗り切る場合、1人よりも2人、2人よりも3人という風に、同志は多ければ多いほど心強いものだ。最悪、譬え1人でもそれを耐え凌ぐ覚悟がなければベンチャー起業は叶わない。けれども、1人でも同志がいると、事業は果てしなく前進する。だから、ベンチャーを創める時、誰と一緒に事業をやるのか?コアとなるメンバー構成は?この問いこそ核心だ。譬え人数は少なくとも、信頼があれば足りないものがあっても充分埋め合わせることができる。スタッフの間の絆も深まれば、それがベンチャーを更に前へと推進させるエンジンとなる。

長い人生、さまざまな境遇に出くわしてしまう。良い時もあれば悪い時もある。だが、禍福は糾える縄の如し、塞翁が馬、実際は何が良くて何が悪いのか定かではない。なかでもお金と人の繋がりについては、誰もが学べないような貴重な勉強をしてきた。

本格的にベンチャーに携わり始めたのはITバブル華やかなりしミレ二アムを迎える頃だった。何故か使い切れないほどのお金が集まる時期もあった。オフィスを豪華にしたり給与を大盤振る舞いすると、実に様々な人々がそれぞれの思惑を携えて現れた。期待するほどの新たな価値を彼らが生み出してくれれば何も問題は無かった。しかし思惑通りに事が運ばなければ自ずと資金も枯渇する。それにつれ集まってきた人たちもいつの間にか去っていった。

お金の縁で集まった人たちはそれが無くなれば消え去るということかもしれない。そんな人に限って給与分以上の働きはしないという法則も実際にあると聞いた。これは本末転倒という言葉が適切である。このことはベンチャーを創め人を集め組織化する時に、起業家が心して理解せねばならない真理の一つだと悟った。

確かに給与を高くしてオフィスを豪華にしないと、たくさんの人が応募してこないかもしれない。しかし真に有能な人材は、自分の価値観や判断基準を、取り組むべき事業ポテンシャルの底知れぬ広さと深さに置いているものである。

現実問題として考えれば、世の中広しと雖もそんな有望な人材は類稀な存在かもしれない。しかし希少なものであるのならば、その価値を大切にし、少人数でも回るようなベンチャービジネスを展開すれば良いのではないか。このほうが現代では貴重な精神的安定も得られる。人材の供給源も日本に限定する必要もない。広く世界から募れば良い話だ。

勿論、スタッフの資産形成に関しては、いまも在籍する創業スタッフには、最終的に充分に報いるようにする。けれどもそれを第一番目の目的にすると、ベンチャービジネスは思わぬ方向に漂流する結果に為りかねない。先に述べたようにいつも順風満帆ではない。嵐に遭遇し、激しい波風に晒されることもある。お金の縁で出来た絆はそんな逆境に免疫は働かず余りにも脆い。特に創業期は想像出来ない嵐が日常茶飯事のように襲い掛かって来る。その度に乗組員が下船するようではそのベンチャーの命運も風前の灯に過ぎないだろう。

だからこそ、「人は何故働くのか?」という根源的な疑問を出発点とした直感や洞察や思想によって大義名分ある企業理念を打ち出すこと。そしてその理念に基づいた壮大な事業の目的やビジョンを確立することが重要になってくる。その器のスケールに応じて相応しい人材は熱意と情熱を持って集い、そうでない者は肩をすくめて去りゆくだろう。それは一朝一夕のうちに得られるものでもなけば、金銭で買えるものでもない。それ故に貴重で尊い存在なのであろうか。

(つづく)

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2005 年 04 月 21 日 : 余談 〜海外進出〜

海外からの問い合わせが引っ切り無しに多い。それも特定の国からだけでなく、世界中のありとあらゆる国からだ。裏を返せば、いま世界の携帯電話事情は次世代へと移り変わる過渡期にあるのだろうか。ベンチャー故、ソフトウェアライセンス契約書やマニュアル類を辞書片手に自ら和文英訳するしかなく滅茶苦茶忙しい。

今年2月に出荷予定だったが、諸般の事情で遅れていた、2種類の海外対応版製品を来月ようやく出荷できる。本格化するのは来年以降と見通している。これからが楽しみだ。

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