2006 年 01 月 09 日 : 波紋
遠いようですぐ近くにある少年時代の日々。
遥か向こうに見える川岸めがけて、小石を何度も何度も投げていた。
水面を石が何度か飛び跳ねて駆け抜ける時に、ダイナミックに出来上がってゆく、いくつかの同心円状の波模様。それらには飽きるのに困らないほどのパターンがあった。
石を投げる時のスピードや角度、石の形によって、実に多様な波紋を観察できたのを覚えている。
あたかもその瞬間に抱いた"思い"がそのまま様々に水面に映し出されるかのようだった。
同様に何度も繰り返される、単純そうに見える日々の仕事も、なんとなくそれに似ていると思えてくる。
近くからは全貌を知ることが出来ないのだけれど、改竄されない限り、遠くからはかえってはっきりと見えてしまうということである。
僕たちの外界と接触する最初の仕事は、創ったソフトについて伝えるべきメッセージをかたちのあるものに表現して、それをネットという空間に向けて投げかけるというものだ。
そのとき、ネットに映し出される波紋の美しさは、単純そうに見えるメッセージであったにしても、それに込めた"思い"によって天と地ほどの開きがあると思う。
間違いなく、メッセージに込められた"思い"はそれを読む人にダイレクトに伝わる。
2006 年 01 月 08 日 : First impression
初めて観たり、聴いたり、触れたり、味わったり・・・。
そんな時、人が本能的に悟る "first impression" ほど大切にすべきものはないと思っている。
なぜなら、生き物としての本能は「何が本物で何が偽物か?」を正しく判断する才能だから。
それでは、人が "first impression" で悟るものとは何か?
テレパシーというか・・・。
なんとなく人々は心と心に絆があって繋がっているような気がする。
見えない絆によって、何かに初めて触れた瞬間、それが創られた時のオモイ("思い、思考"と"想い")を、心は素直に感じ取る。
生活のための割り切って働いた結果生まれるモノ、夢と希望を持ち自分の限界のチャレンジした結果生まれるモノ、・・・
モノには生まれることになった背景が必ずある。
そこにあるオモイ(思い/想い)は隠しようがない。
モノを見た瞬間、人の心はそれを敏感に悟る。
機能は全く同じなのに、売れるものもあれば、売れないものもある。
その差はどこから生まれるのか?
それは、何かを創造する時、夢と希望に満ちた、無限の可能性を秘めたオモイをどれくらい注ぎ込んだかで運命付けられるだろう。
陽水の「カナディアン アコーデオン」という詞に、
"無数に舞い散る粉雪が風を形にして見せる"
という美しいフレーズがあるけど、人によって創られたものはそんな風にその人の"思い"を形にしたものなんだと思う。
2006 年 01 月 07 日 : 何億年もむこうから
人生五十年
化転のうちにくらぶれば
夢まぼろしの如くなり
一度生をうけ
滅せぬもののあるべきか?
1560年6月12日(永禄3年5月19日)、歴史を変えた"桶狭間の戦い"の直前に、織田信長が舞ったと伝わる、幸若の舞「敦盛」である。
真偽は定かじゃないけれど、150 億年といわれる広大な宇宙の歴史からすれば、僕たちの人生って、ほんの一瞬の些細な出来事に過ぎない。
仮に 150 年生きることができたとしても、宇宙的視野から壮大に眺めれば 1 億分の 1 なのだから …
たとえ短い人生でも何か足跡と呼べるものを残すことができれば、凄い、素敵、最高だね! という思いへと繋がってくる。
眩い都会の夜景からは星影を望むべくもないけれど。
遥か彼方の宇宙空間から僕たちの地球に届く星の輝きは何億年、何十億年も前の瞬間的な出来事なんだという事実に愕然としたりする。
願わくば、そんな星の輝きに相当するような価値ある活動に人生を捧げたいものである。
2005 年 12 月 30 日 : 氷山の金額
数値化できるお金は単純明快で分かりやすい。誰にでも客観的に簡単に評価できるからである。
それは現在かたちになって見えるもののほんの一面、いわば氷山の一角に過ぎない。にもかかわず、多くの人々はそれを追い求める。
もっと大切なのは、むしろ人とかブランドとか未来とか・・・数値化できない伸びゆくものを、ぶれずに見定める才能である。
人はお金に換算すればどれくらいの金額なのだろうか?
それは、人によって評価するタイミングによって環境によって、大きく左右される。しかし、正確にお金に換算できないくらいの無限の価値を秘めているのである。
ブランドや完成していないものについてもそれが言えると思う。
例えば「モーツァルト」って金額に換算すればいくらなの?という問いに正確に答えられる人はいるだろうか。
価値が高ければ高いほどお金には代えがたい何かがある。難しいのは時間の経過と共に上昇もすれば下降だってありうることである。
起業家に最も求められる資質のひとつは、そんな数字に表現し得ない価値を見抜いてそれをかたちあるものに育てるセンスだと思う。
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2005 年 12 月 29 日 : ひろがりゆく次元の視界
人々はどれくらい先の未来を眺めて生きているのだろうか。
時々、そんな素朴な疑問が生じる。高所恐怖症でもない限り、超高層ビルの展望台からの都会の夜景などの眺めは絶景だ。多くの人は高い所を目指している。
高ければ高いほど遠くまで見渡せる。けれども、同じ発想を時間軸上で展開して人生を生きる人は少数派なのではないだろうか?
数百年、数千年先の遥か彼方にまでひろがりゆく立体的な四次元の空間をイメージすると、目前に迫る現実の風景も全然違って見えてくるから不思議だ。
案外、詰まらないことに足を掬われて貴重な時間を無駄にしていたりする。たまには高い所から眺めるようにして遥か先の未来の風景を思い浮かべてみる。
きっとそんな時、独創的なアイデアは閃くだろう。
2005 年 12 月 29 日 : 圧倒的な差を生むもの
ソフト業界を見渡せば、オペレーティングシステム、データベース、検索エンジン、画像編集ツール・・・あらゆる分野で寡占が進んでいる。
このジャンルでは勝者は限られてしまうのである。
経営者としての性格からか、「勝者」と「敗者」を隔てるものに取り分け関心がある。
以前の日記にも書いたけれど、ソフトというものは質量を持たない。それ故、無限大のクオリティの世界がひろがっているとも言える。
クオリティは無限大なのだけども、勝者と敗者を決定付けたその要因というのは至って単純で些細なことが常である。ささいなことが時と共に指数関数的曲線の差となって現れる。
創めの頃であればあるほど、それは致命的な結末に繋がるので注意が必要である。ソフトというものは単なる"ソフト"なのだけど、プログラムだけでなくそれらを表現するコピーライティングやデザイン的な要素もある。
意外にも、コンピューターのソフト業界ではコピーライティングやデザインといったものがおざなりにされがちに感じる。
その間隙を縫って、世界の桧舞台に登場した典型的な例が、Apple Computer, Inc. 創業者スティーブ・ジョブス氏である。
1 ドット 1 ピクセルを変化させるだけで、その情景へのフィーリングがガラッと変化する複雑系の世界でもある。
それだけにあらゆる面において細分まで徹底してこだわりたい。何故ならそのスタンスこそがソフト業界で生き残るための鉄則だからである。
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2005 年 12 月 07 日 : コピーライティング
サイトリニューアルも大詰めを迎え、いつになく多忙な日々が続く。
「行百里者半九十(百里を行く者は九十を半ばとす)」(『戦国策』秦三巻)という。もう少しで完成するにしても油断せず、全力を尽くす習慣が偉大な成果に繋がるのだと信じる。
半年間というもの、Web マーケティングチームと日々有益なミーティングを交わしながら、完成度の高いサイトに仕上がりつつある実感を得ている。見た目の色やデザインも重要だけれど、相変わらずメッセージで言いたいことを伝えるのは難しいと痛感している。
例えば、「山」、「川」、「海」は単なる"文字"としての「ヤマ」、「カワ」、「ウミ」じゃないのだ。言葉を読んだり、聴いたりした時、脳裏に描かれた、個々人にとっての「山」、「川」、「海」の情景、或いは心の中を駆け巡る自然の音色なのである。
そんなことを意識しつつ、一言一言に思いを込めて、サイトにメッセージを刻んでいるのだ。僕が思いも寄らぬ情景を読者が思い浮かべることで、何らかの新しい創造的な出来事に発展するのならば…と想像するだけでわくわくしたりもする。
活字離れが叫ばれて久しいが、大切な事実がひとつ隠されているように思う。
ひとつひとつの言葉は、人々の頭の中で消化された瞬間、マルチメディアとしての音と映像に変換される。それは、コピーライティングをする上で極めて重要な原理原則である。