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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : 2005年01月

2005 年 01 月 06 日 : From the top of the world

13 世紀の始めのこと。ある不思議な人物が、突如として歴史の表舞台に現れ、人類史上最大といわれるモンゴル帝国を築き上げた。何故、無名の存在に過ぎなかったチンギス・カンが、そんな気宇壮大な伝説のような歴史を成し得たのだろうか。

モンゴル帝国のことを調べていて興味深かったことは、遠い国々へのモンゴル遠征軍は、主として少年たちで組織されていたことだ。しかも、故郷であるモンゴルを出発する時は、10 代前半の者がほとんどであったという。しかし、少年たちの軍隊を率いる指揮官は、歴戦練磨の戦士で、彼らを充分に教え鍛えることができた。遠い国への長い遠征の過程で、少年たちは、指揮官の指導に素直に従い、自らの武術に磨きをかけたという。そして、さまざまな実地での体験や訓練を通して、一人前の勇敢な戦士へと成長していった。そのようにして統率された軍隊は、古今無双の戦闘力、機動力を擁して連戦連勝し、人類史上最大の世界帝国が誕生したということだ。

このような過去の歴史の断片からも、未来に向けてベンチャー経営の戦略を立案するための、ある種の教訓や示唆が見出せる。

若きスタッフたちが、世界の檜舞台で、自由にのびのびと楽しく活躍できる場を目指して、ソフィア・クレイドルというベンチャーは創業された。なかにはそれが信じられずに去るものもいたが、年々世界の頂点へと近づいている。創業以来ずっといるスタッフたちにはそれがよく実感できると思う。

世界に通用するようなものは、どのようにして生まれるのであろうか。

それは、一朝一夕に生まれるものではなく、木の年輪が増えるように、その土壌や礎となるところで、長い歳月がどうしても必要なのに違いない。恐らくモンゴル帝国は、伝統を享け継ぐものが、長期的な視野から、少年たちをじっくりと実践で育てることで、帝国の繁栄を築いていったのではないだろうか。

世界の頂点を目指している。だから、何年ものロングレンジに渡って、若い頃から自分たちの技術、製品、そして会社そのものを継続して成長させたいと願っている。

大企業に所属していた頃は、配属された組織の壁があって、世界レベルでものごとを考える余地はほとんど無かった。入社した瞬間、サラリーマンというのは安定しているけれども、数学でいうところの上限がある世界に思えた。

ある意味、ベンチャーを創業して思うのは、反対にこんなことだ。たしかに数学的に言えば、やりかたを間違えると、すべてを失うことや−∞となってしまう可能性もある。だが、+∞という数学も現実に存在する世界でもある。それこそ、創業したばかりの頃は、『世界を狙う』、という表現すらが夢物語としてしか捉えることが出来なかったかもしれない。いま残っているスタッフたちは、オリンピックのゴールドメダリストのように世界の頂点に立てる日を信じて、真剣に仕事に取り組んでいる。

去っていったスタッフたち、そしていまのスタッフたちのために『Dreams Come True. 夢は実現する』ということを実証したい気持ちでいっぱいだ。長期戦になろうとも、現実社会でいろんな経験を積み重ね、自らに磨きをかけ、いつの日か必ず世界で一番高い頂上に立ち、スタッフたちと共にそこからの美しい景色を眺めたい。

2005 年 01 月 05 日 : Viewpoint

年明け早々なのに、新たにカナダ、ポルトガル、タイ、ベトナム、デンマークといった意外な国々からも問い合わせが来るようになってきた。恐らく日本で利用されているような高性能な携帯電話が、きっとそういった国においても普及の兆しがあるに違いない。

昨日、今日と、会社は休みなのだけれども、インターネットを駆使して、米国のある会社とソフィア・クレイドルの製品導入の検証をしている。問題となる箇所も特定できたので、多分うまくいくことだろう。ここに導入すれば、ソフィア・クレイドルにとって初めての海外進出ということになる。(こういう時、インターネットの偉大さや有り難さといったものを痛感させられる!)

今年は期待が持てる楽しみな一年だ。これまで努力して研究開発してきた製品の成果が現れ、拡がってゆく。さらにより高い目標を打ち立てて、ひたすら努力することが大事ではないかと考えている。そして、一歩一歩自分たちが成長することに、人生の意義を感じるようでありたいと願う。

ベンチャービジネスで成功するためのキーとなるポイントの一つは着眼点ではないだろうか。天才的な頭脳を有する会社であるのに、伸び悩んだり、倒産、吸収される会社が後を絶たない。戦略的に間違った選択をすれば、いくら戦術に長けていようが軌道修正のしようが無いということなのだろう。だから、何かものごとを始める時は、それに将来性があり、自分たちの強みを発揮でき、自分たちにしかできない事業かどうか、それをよく洞察することが何よりも大切だ。

いくら将来性があっても、大手企業などの他社が参入しえないような、特別な理由や条件が無ければ、その事業は始めない方が良い。自分たちにしかできないことは何かをよく見極める必要がある。そのためにも創業する前に、自分たちの好きなこと、得意なこと、強みは何かということを冷静に、真剣に見つめ直すことだ。

i モードが導入された時点で、直ぐに携帯電話というものの将来性を非常に感じたが、どこから入っていけば良いのか、その突破口をなかなか見いだせずにいた。3 年という期間を費やして、ようやく『未来の携帯電話=ネオ・タイプの超小型モバイル PC 』という方程式に確信が持て、この分野に入るべき道を発見することができた。

しかし、何れ多くの競合他社がこの分野に参入することは予想された。そこで、結論から言えば、携帯電話のソフトウェアであっても、「どう転んでも 時間の掛かってしまう ビジネスの分野」を探し出す努力をした。それが現在製品となっている携帯ソフト圧縮ツール「 SophiaCompress(Java) 」と携帯ソフトフレームワーク「 SophiaFramework 」である。何れの製品も、天才的な一人のプログラマーが設計し、ごく少数の有能なプログラマーのチームでプロジェクトを構成して、実現していった場合の方が、格段と質の良いものをアウトプットできる。

携帯電話向けソフトは、メモリ容量や CPU の性能の問題があって、いまは量よりも質が重視される傾向にある。さらに、他のジャンルのどんな製品でもそうかもしれないが、ソフトウェアのクオリティというものは、それを構成するパーツの中で最も劣る部分で決定されると言われている。所謂、ボトルネックのことだ。多人数からなるプロジェクトの場合、どうしても様々なプログラマーが混ざってしまい、部分的にはすごく優れていても、ある部分が欠陥となり、総合的には陳腐なものになっている、という残念なことが往々にしてある。

そこに目をつけて、ほんの数名の少数精鋭のプロジェクトで、3 年というベンチャーにしては比較的に長い歳月をかけて、自社製品の完成度を高めつつ、実績を積み重ねていった。現段階でこれといった競合他社を見いだすことはできない。同じくらい天才的なプログラマーを擁して、いまからこの分野に参入したとしても、これまでの3年という歳月を挽回することは至難の技だ。

ベンチャーといえば、「スピード」というものが重視される傾向にあって、意思決定においてスピードはとても重要だと思う。しかし、反対に、製品開発においては、どのように頑張っても、例えば 3 年かかるような分野を選択し、3 年後にピークになるものにフォーカスを絞り、それを見計らって目立つことなくこっそりと研究開発を進めることも一つの重要な考え方だ。直ぐに実現できてしまうような、簡単な製品やサービスは、当たることもあるが瞬間的に消え去ってしまうのことの方が案外多い。

有り難いことに「時間」というものは、大企業にも零細企業にもすべてに対して、平等で最も貴重な経営資源だ。

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2005 年 01 月 04 日 : Entrepreneurship

2000 年を境として「モノ余り現象」が急激な勢いで進展している。そして、過去の歴史を振り返っても現代ほど個人が期待されている時代はないだろう。その個人に秘められた潜在的な才能や能力を、遺憾なく発揮できる場所、環境を提供できるかどうかで、その会社の未来が決定づけられるのではないだろうか。

こと細かく仕事の指示をすることは余りない。懇切丁寧に指図しないので、将来展望のようなものが見えないといって去る者もたまにいる。しかし、ソフィア・クレイドルでは、若きスタッフたちが、常識では考えられないほど、仕事を任せられ、自由闊達に活躍している。彼らの創作したソフトウェアは、数え切れないほど多くのアプリケーションで、実際に利用されている。

前途有望な若いスタッフたちの可能性を、できる限り伸ばそうとするならば、彼らが自ら機会を創り、自分の才能を切り拓いてゆくのがベストだと思う。これは私が起業した一つの理由でもある。

世間一般でいうところの大企業に勤務していたことがあった。その時に苦い経験をした。別に会社が悪いというのではなくて、私という存在がたまたま大企業で働くということに向いていなかっただけなのだが…。その会社自体は立派な会社だと今でも思っている。

大企業の場合、大きくなればなるほど、業務プロセスと個々の社員のミッションというものが細かくマニュアルに記載されていて、その範囲内で仕事をすることが求められる。範囲外の仕事をすると、業績評価の対象にもならないし、動こうにも制約が厳しくやりたいことがあまりできない。例外はあると思うが、だいたいそんな傾向にある。もしソフィア・クレイドルが大企業になった場合は、その例外の部類に属したいものだ。

コンピューターテクノロジーの進歩は早く、技術的な仕事をするのに、どうしても組織の定められたミッションを遂行するだけでは無理があって、その頃、やりたい仕事が全くできない日々が長く続いていた。組織の問題ではなく、そのミッションと私のやりたいことが合わなかったということだ。組織のルールに従えば、それで万事済むように思えるが、自分の才能や能力といったものを、潜在的なものまで含めて完全燃焼するくらいに頑張ることはできなかった。

ノーベル賞にしても、その評価の対象となるのは 20 代の頃の業績によるものが大半であるようだが、ソフトウェアのような仕事も、20 代の時にこそ世界を変革するような画期的な成果が生まれるものだ。

大企業にいた頃の職務内容は、既成概念のもとに作成された事業計画をトップダウンに展開し、その一部をある社員が受け持ち、それを計画通りうまくやれば、「A」や「SA」というような最上位の業績評価を受けることになる。成績が良いのは、ボーナスや昇給、昇格に繋がり、個人的な生活の上では満足できるかもしれないが、与えられた職務範囲外や計画外のことまでやれば、社会にもっと大きく貢献するような仕事ができた可能性も否めない。

そのような仕事ができる場を求めて、いろんなところを探したが、発見できずにいた。最終的には、今のように起業という手段で、ソフィア・クレイドルのスタッフたちと共に、私たちがやりたいことを自分たちが決めたルールで、自由に楽しく充実した人生を過ごそうとしている。

そんな経緯や背景があるので、スタッフたちには自己の潜在能力を思う存分に発揮してもらうため、できるだけ細かい指示はせずに、自由にのびのびと仕事をしてもらうように配慮している。だから、自ら計画し、ものごとを組み立てて仕事をすることに不得手な人にとっては働きにくい職場かもしれない。しかし、クリエイティブな人にとってはとても居心地の良い職場のようだ。彼らの素晴らしいアウトプットを見ていればそれがよく分かる。

例えば、29 歳の G 君は、あるフリーソフトの作者として日本全国にその名を轟かせるくらい、知る人ぞ知るような存在だ。H 君、Y 君の中高校の科学部の後輩でもある。つい最近、彼は、ある大手企業の中央研究所から依頼された PDA 向けのソフトウェアを、携帯電話に自動的に移植するシステムを1ヶ月足らずで完成させている。通常、このような仕事は、手作業で数ヶ月かけてプログラムを組みなおす、超面倒なかったるい作業だ。しかし、彼は、どんなソフトウェアでも自動的に携帯電話に移植できてしまうような汎用的なシステムとして、それを大変、エレガントに創った。

22 歳の E 君は、大学では理論物理学を学んでいる。プログラミングは趣味でやっているようだが、驚くほどアルゴリズムに強い。携帯電話で搭載されている CCD カメラを通して漢字を文字認識するようなシステムは、未だ発表されていないと思う。いま、彼はそのようなものを研究開発している。入社して間もないが、そのシステムはまもなくプロトタイプが完成する見込みで、とても楽しみだ。

(ある上場企業が同じようなシステムを開発している。しかし、それは文字のバリエーションの少ないアルファベットと数字、簡単な記号までしか認識できない。E君のシステムでは携帯電話で何千ものバリエーションのある漢字まで認識できる点が画期的だ。韓国語、中国語など多種多様な言語の文字認識にも汎用的に横展開できる凄い発明へと発展するかもしれない。ある意味でその未来にワクワク、ドキドキするような気分を抱かせてくれる。)

主に開発系スタッフについて述べてきたけれど、ソフィア・クレイドルでは、そんな風に、20 歳前後のスタッフたちが、一般企業のベテラン社員と遜色のないくらい素晴らしい成果をあげている。

しかも自律的に自ら機会を見つけ、自分で目標を設定している点がとても評価できると思う。そういう次第で、ようやくこのような日記を書く余裕を持てるようになってきた。

2005 年 01 月 03 日 : Amazing story

稀に「奇跡」と言いたいような凄い事実や光景を見たり、聴いたりすることがある。

そんな出来事は一体どういった背景があって発生するのだろうか?

たまたま起こった偶然に過ぎないのだろうか?或いは、起こるべくして起こったのだろうか?

それが起こる理由や原因というものがあったからこそ、「現実」になったのだと信じたい。

ソフィア・クレイドルというベンチャーを経営する起業家である。将来的には自社の製品が、世界のあらゆる人に、良い意味において大きな影響を及ぼすことを、できるだけ鮮明にイメージしている。

客観的に考えれば、創業して 3 年の会社がそんな壮大なことを成し得るのは、それこそ「奇跡」かもしれない。

ベンチャー起業家として、それを確率的に稀な話で済ますわけにはいかない。必然となるようにしなければならない。

無名の時から、ソフィア・クレイドルの製品を支持してくださったお客様への責任であり、製品の研究開発に、献身的に打ち込んできたスタッフたちへの責任でもある。

どんなに偉大な発見、発明、事業にしても、最初はゼロからスタートである。「不可能」はあり得ない。私たちにも偉大なことを成し遂げる資格はある。

自分たちの可能性を信じることはとても大切なことだ。

最初から諦めている人が多いのではないだろうか。歳を重ねる毎に夢も膨らませてゆきたい。

一般に奇跡的な出来事といわれるようなことを、達成する能力とは何なのだろうか?

こんなことを真剣に考える人は本当に少ない。実践している人となればもっと少ない。

成功者の大半は、偶然という要素よりも、そんな能力の追い風を受けて成功しているのが事実だ。

人間の意識には「顕在意識」と「潜在意識」がある。

「顕在意識」とは、ごく普通に私たちが「意識」と呼んでいるもののことだ。

「潜在意識」とは、私たちが意識しえない意識のことであり、呼吸や消化、循環などの人間が生きていくのに欠くことのできないことを司っているような、存在しているにも関わらず、はっきりとその正体が分からない不思議な領域である。

偉大なことを成しえるか否かは、自分の「潜在意識」というものに秘められた力を使いこなせるかどうかにかかっている、と思っている。

偉大な功績を成し遂げた人の書物や話では、大抵この話が出てくる。例えば、モーツアルトは、作曲するときに無意識に、頭に浮かんだメロディーを超人的なスピードで次々と楽譜に落としていった。

昔から、「潜在意識」という不可思議な実体に強く惹かれていて、いろんな書物を読みながら、どうすればその力を自分のものとすることができるのか、などと思いめぐらせたりしていた。

科学的根拠に基づいた、定量的な評価結果というものは存在しない。人の行動というものは全体の90%以上が「潜在意識」というものから生まれ、「顕在意識」によるものはほんの数%だという。

人間が自分で解明することさえできない、生命の仕組みを司っているだけに「潜在意識」の力は目に見えないくせにそんなにも偉大である。

通常、学校教育の試験などで量れるのは、「顕在意識」から生み出されるほうの能力であり、それは全体の意識からすれば氷山の一角に過ぎないことになる。

勿論、学業優秀だった人も偉大な業績を残すこともあるが、学業優秀であっても、社会に出ると平凡な業績しか残せない人は、意外にも多いのではないか。

逆に、学業面ではそんなにたいしたことないのに、社会に出たとたん大きな業績を出している人が案外多い。

いろんな人を見て思うのは、恐らく、成功している人の多くは、「潜在意識」というものをうまく活かしているのだろうという仮説を私は持っている。

「潜在意識」というものは、無意識な意識なのだが、それは「顕在意識」に認識されたものが自分の頭の中にイメージされるものらしい。

いわば、最初は自分の顕在的な想像力から始まるわけだ。だから、最初に「潜在意識」に込める思いやイメージというものは極めて大切だ。

どれだけ真に良きことを前向きに、イメージできるかできないかで、自分の人生そのものが決定付けられる。

これは一つの真理であると、あえて受け止めて、会社や自分や家族のことを、前向きにイメージして思い描くようにしている。

イメージが「潜在意識」に透徹するまでには、寝ても覚めてもそれこそノイローゼになるくらい、思いをイメージし続けねばならない。

簡単なことではなく、根気のいるプロセスである。

質や量の問題もあるけれど、これを実践しているだけでも、実践しない人生と比べれば、異なってくるのではないだろうか。

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