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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : 2005年10月

2005 年 10 月 15 日 : 上限なき世界

"ソフィア・クレイドル"というベンチャービジネスを創める時、Web や PC のソフトビジネスは眼中になかった。なぜなら上限が読める世界だったからだ。国内なら成功できるかもしれないが、世界のマーケットを考えた時、その可能性は限りなくゼロに近かった。

例えば、Web のビジネスなら少なくとも Yahoo!Amazon が創めた頃でないと世界なんて望めない。自分のビジネスの感覚では既に時代遅れの感は否めなかった。

試行錯誤しながらたどり着いた結論が、英国 ARM 社が提供するマイクロプロセッサ上でのソフトビジネスである。創業して 4 年近くになるが、周囲を見回して同じ志向性を持つ同業者はなかなか見つからない。

ARM プロセッサは NTTドコモ、KDDI、vodafone の携帯電話に止まらず、アップルの iPOD、ソニーの PSP、任天堂の NintendoDS、PDA、カーナビなど日常生活のありとあらゆる電子機器に組み込まれている。

しかし多種多様な電子機器にわたる ARM プロセッサ用ソフト開発を劇的に改善するプログラミング環境は、ソフィア・クレイドルを創業したときには存在していなかった。私たちはそこにビジネスチャンスを見出していった。ソフトプロダクトのビジネスだからすぐにお金にならない。でもマーケットポテンシャルは無尽蔵。しかも競争は皆無。ベンチャーを創める場としては持って来いだった。

携帯電話のように iPOD、PSP、NintendoDS などがデフォルトでネット接続されるのも時間の問題と思う。そうなった時に、ソフィア・クレイドルの提供するソフト技術がネット経由で配信されるとするならどうなるだろうか。

ソフトは一種の情報であって質量を持ち得ないので、1 台の情報端末にダウンロード可能なソフトの数の上限は無きに等しい。そもそもネット接続されるその種の情報端末も数え切れない。正しく無限の可能性が秘められている。

仮に 1 本あたり 1 円でソフトをネット配信したとしても配信先が ∞(無限大) であれば、トータルの売上も 1 円/個 × ∞ 個 → ∞ 円という世界である。いわば上限の設定は不可能であり、そこには果てしなくひろがる世界がある。

"∞(無限大)" のビジネスを実現するには、Google のようにビジネスモデル自体をコンピューターとインターネットで完結させることが肝要だと思っている。

これは一種のロングテールなビジネスモデルといえるかもしれない。

2005 年 10 月 14 日 : ミュージック

Gackt の"DIABOLOS"。例えば今日はこんな曲を聴きながら空を逍遥するような感じで仕事している。

大企業だったら、部長がケツメイシ、サザン、いま話題の NANA のサウンドトラックなんか聴きながら仕事している姿って想像し難い。学生や会社員だった、あの頃の同期のエリートとは一風変わった人生を送っていると我ながら思う。

これまで確かに苦い経験もし、数え切れないほど乗り越えねばならない壁があった。創業初年度は音楽の「お」の字すら無かった。独創的で素敵な製品やサービスがナチュラルに生まれ、そして多くのお客様のもとへと届くようになった。お陰様で、今ではそれがソフィア・クレイドルのスタイルとして定着しつつある。

自分を偽って慣れない受験勉強に励めば、自分の意志に背くような仕事をこなしていた時期もあった。現在への分岐点は何時だったのか。それは定かでない。

振り返ってみて気付くことがある。壁を乗り越えるごとに自分の自由度が増すという事実である。その自分の壁を乗り越えるためには、勇気や意志、優しさといった"心の有り様"が決め手になる。

音楽を聴く度に心豊かになる実感を受けとめることができる。

そんな今日この頃。

2005 年 10 月 14 日 : The long tail


  
インターネットビジネスを考える時、米 Wired 誌の編集長である Chris Anderson が提唱したロングテール(The Long Tail)という現象を観察すればその中から新しい発想が浮かんでくるかもしれない。

縦軸の販売数、横軸に商品をその販売数の多いものから順番に並べてプロットする。その曲線は恐竜の尻尾のようにどこまでも果てしなくのびてゆく。その軌跡を指して"ロングテール"というらしい。

リアル店舗であれば店頭に置かれることの無い商品も、ネットのバーチャル店舗であれば情報は物理的ではないので無限に並べることができる。このとき、リアル店舗では販売不可能だったニッチな商品のマーケットポテンシャルが実際には無視できないほどの規模がある。80 対 20 の法則とは一見矛盾するように思える。しかしそこに新たなビジネスチャンスを見出しているのがアマゾンでありグーグルであるというのだ。

この話で関心をひかれたのは「80 対 20 の法則とは一見矛盾するように思える」ということである。いくつかの BLOG でもそう言っているのを読んだ。

本当のところはどうなんだろうか?

現実の世界の数は有限である。天文学的数字というのはオーバーかもしれないが、その数も限りなく大きくなれば、その数字を "∞(無限大)" として扱ってもそれほど誤差は生じないのではないだろうか。

∞ × 20 % = ∞  ⇒  実は無限大の 20 % も無限大なのである。

ニッチなものも数え切れないほど集めると無視できないくらい巨大な数字となる。人知を超える情報量を無限にオートマティックに、そして規則正しく処理する性質が、コンピューターとインターネットの最大の特長である。

コンピューターのみならず、携帯電話、ゲーム機、自動車などもネットに接続されるようになってきた。その数は時間の経過と共に加速する勢いで増加している。ネットで繋がれた、ありとあらゆる情報機器と人間とのあいだで交わされるコミュニケーションに秘められたマーケットポテンシャルは計り知れない。

コンピューターとインターネットがあるからこそ実現された不思議な世界でもある。

2005 年 10 月 13 日 : 定員限定

2002 年 2 月の創業以来、スタッフの定員は 16 名限定で"ソフィア・クレイドル"というベンチャーを経営している。将来、しかるべき条件が整えばその定員を増やすことは充分にありえるけれど、当分の間は定員 16 名で事業運営しようとしている。

ベンチャー事業にはその内容に応じて適正規模があると思う。要は 16 名という規模に押さえることで必然的に事業内容を絞らざるを得ない状況を創り出そうとした。そうすると一緒に仕事をするスタッフも自ずと少数精鋭となる。適正規模を維持することで、その集団が生み出すアウトプットが自然に極大化するシステムが重要だと考えた。

先日の BLOG で紹介したマイクロソフト創業時の成長の奇跡を見てほしい。著しい売上の伸びを遥かに下回るペースでしか人員は増えていない。

ソフトウェアビジネスの場合、結果が具体的な数字として現れるには少なくとも 3 年かかる。表の場合、1979 年に 1,356 千ドルの売上の数字と 1975 年の従業員数 3 名という数字。1975 年に 3 名で開発したソフトウェア( BASIC というプログラミング言語)が 1979 年に売れ始めて 1,356 千ドルと読むこともできる。 3 名で年間 1,356 千ドルの売上というのは決して悪くない数字だと思う。それにマーケティング理論の S 字形の売上曲線をたどればしばらくは何もしなくとも売上は増える一方である。これがソフトウェアビジネスの真髄といえよう。

[マイクロソフトの成長の軌跡 : 1975-1980 のデータ ]
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年度(年)  売上高(千ドル)   伸び率(%)   従業員数(人)
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 1975                     16                     −                         3
 1976                    22                    38                          7
 1977                382                  636                        9
 1979             1,356                  256                      13
 1980              2,390                 76                      28
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          ※ 「マイクロソフトシークレット」より

プロフェッショナルな世界ほど定数というものが限られている。それによってオートマティックにクオリティが維持される機構が働く。J リーグならその最高峰である J1 は 12 チームでありプロ野球でも 1 軍は 12 チームである。さらに各チームで正式な選手として登録できる人数にも定数が決められている。

だからこそ個々の選手が切磋琢磨しながら自分に秘められた潜在能力をできる限り顕在化させようとする。すると感動的なプレイが生まれ観客は満足する。そういったプロフェッショナルなメカニズムは、ソフトウェアを開発し販売するというベンチャービジネスでも有効である。

ビジネスという観点からは、ソフトウェアビジネスの儲けの本質とは一体何かという問いかけはとても大切だ。そのヒントは単純である。既にソフトウェアビジネスで成功を収めたベンチャーの歴史をたどってみると良い。

マイクロソフトはプログラミング言語( BASIC )、オラクルはデータベース、グーグルは検索エンジンといった例を挙げることができる。ソフトウェアビジネスで顕著な成功を果たしたベンチャーは何れも勝負を賭けたソフトウェアのヒットをきっかけにして飛躍した。ソフトウェアビジネスでは、まずどのソフトウェアで勝負を賭けるのかその選択と集中をする。そして決定したそのソフトウェア開発に全力投球するというのが肝要だろう。

AだけよりもAとBという複数のソフトウェアを開発し販売した方が儲かりそうな気がする。しかしBよりもAが有望であればAに集中特化する方がソフトウェアビジネスは儲かる。なぜなら研究開発が完了すればソフトウェアの原価は限りなくゼロに近いため、

粗利益 P = 売れたソフトウェアの本数 N × 単価 @

という数式が成立するからである。

AとBの両方を手掛けために力が分散しAとB共に売上本数ゼロで共倒れになるリスクもある。成功しているソフトウェア会社を見れば明らかなのだが、売れるソフトウェアは圧倒的に売れるけれども、売れないソフトウェアは全く売れない。大抵の場合は売れない。しかし上の数式のNの値がゼロでなければもっと売れる可能性は充分にある。全世界をターゲットにすれば限界のない数字に近い場合もある。

集中特化するソフトウェアがひとつだけならそれを開発するための人数は少なくても良い。むしろ大切なのは如何にして数式のNを増やすかである。それはその組織を構成する人材のクオリティと関わる問題であり、その組織に合った人材をどうやって集めて維持し洗練させてゆくかという問題に帰着される。その一つの解としてその組織の定員を限定するという発想がある。

2005 年 10 月 12 日 : 希少価値

ダイヤモンド、プラチナ、金といった鉱物資源は希少価値があるからその値段もそれなりに高い。一般に、ベンチャーが開発する製品やサービスは過去に存在しなかったものが多い。言ってみれば希少性がある。だからその希少性を活かす戦略や戦術が重要なポイントとなるだろう。

ベンチャーが創り出した製品やサービスが威力を持つものであればそれを手にする顧客は得をしたと思うだろう。ものごとの価値判断の尺度は人によって様々であるけれどそんな希少価値のあるものを開発しようとする姿勢が重要だ。

また、単純に考えれば製品やサービスはたくさん売れば売れるほどよいかに思えるかもしれない。しかし 100 円のものを 100 個売るのも、10000 円のものを 1 個売るのも売上高という観点からすれば同じだ。もしそれが同じものであったとするならば 100 円で売れるよりも 10000 円で売れた方が良い。

創業間もないベンチャーはヒト、モノ、カネといった経営資源が限られる。であれば、100 円の製品やサービスでも 10000 円の価値があるものに変えてしまうマジックある発想は欠かせないだろう。そのひとつは販売する数量を限定する方法である。オリジナリティのある商品やサービスの販売数量を限定するとそれに応じて価値は上昇する。広告や宣伝をする必要もなくなる。

販売数量を 100 分の 1 にすることで、その製品やサービスの価値が 100 倍以上になることもありうる話である。そういったアプローチを採ることで、ベンチャー企業は利益率の高い経営が現実のものとなり会社にキャッシュが残り健全なかたちで総資産が増えてゆく。それはベンチャーが成長するためのひとつの方法である。

2005 年 10 月 12 日 : 胡蝶の夢

荘子の斉物論篇に"胡蝶の夢"という話がある。

荘周(荘子の著者)が夢の中で我を忘れて胡蝶として楽しげに心ゆくままに空を飛んでいた。けれども目覚めると胡蝶ではなくて自分は荘周そのものであることに気付く。胡蝶が夢の中で荘周でいるのか、あるいは荘周が夢をみて胡蝶であるのか。その区別がつかないのは何故だろう。

荘子ではあらゆるものついて差別や区別はなくてすべてが等しい価値を持つという万物斉同という思想が一貫して流れている。

胡蝶の夢の話で面白いと思ったのは夢も現実も等しく同じとする考え方である。そんなことは現実離れした夢幻だと最初から諦められていることが多いのではないだろうか。

夢が現実なのか現実が夢なのか荘子によれば定かではない。等しく同じものと見なすこともできる。そんな風にとらえる方が希望が持ててなんとなく元気がわいてくる。

客観的にはソフィア・クレイドルが創造しようとしているモノは夢の話かもしれない。逆に現実と夢を同一視して現実から覚醒して夢の中へいってみるのもひとつの発想の転換ではないだろうか。

2005 年 10 月 12 日 : プログラミングのかたち

近頃、何千年もの時を経て現代にまで伝わる中国古典をよく読む。流行のビジネス書を読む感覚では全然進めない。一字一字、象形文字のかたちに込められた趣向を凝らした文章は読んでいて味わい深い。読む度に新しい発見がある。今の時代にも通用する中国古典には想像を超える何かがありそうだ。

ソフィア・クレイドルで創っているのはコンピューターへのメッセージであるプログラムである。プログラムも一種の著作であり読み手がいるとするならば、その中には中国古典のようにクラシカルなものとして永続性を保つものもあるかもしれない。そんなものを創造できたら最高だろう。

中国古典を読んでいて気付くのは、時を超えて通用する普遍性、様々な場面に適用できる汎用性、無駄な部分が一切ない簡潔性、首尾一貫した論理性、面白いストーリー性、そして何よりも文章に美と調和がある。論理性などは文学作品や詩と違いプログラミングと共通する要素であるかもしれない。

プログラミングの世界においてもこんな風にクラシカルな存在として次世代に遺すことができればと願う。様々な分野において真にプロフェッショナルな仕事にはそういった雰囲気があると思える。

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