2006 年 09 月 14 日 : Mobile2.0
巷では「Mobile2.0」なるキーワードが聞かれるようになった。
Web そのものをプラットフォームとしてアプリケーションを利用する様式 「Web2.0」にあやかって名付けられたものと想像に難くない。
Web2.0 的なアプリケーションでは、インターネット上に分散する情報を統合的に扱えるようにするため、Google にしても、Amazon.com にしても、その情報は XML という世界標準のデータ記述言語で表現される。
標準的な枠内に収まっているからこそ、異なるコンピューターに宿る多種多様なデータを、時空を超えて自由自在に扱えることが現実のものとなるのだけれど、それでは携帯電話で「Mobile2.0」を真の理想のものとして具現化するには何が必要になるのだろうか?
そんな問題意識のもとに、数年前からインターネット上で XML を扱える携帯ソフト技術を根気強く研究して実際に開発してきた。
先月、世界で初めて、携帯電話からインターネットサーバーの XML で表現された Web サービスにアクセスできるソフトを出荷することができた。
以下のようにプログラミングするだけで、世界のネット空間に散らばっている、様々な Web サービスにアクセスできる携帯電話向けアプリケーションが簡単に開発できるのだ。
詳細は、SophiaFramework XML for BREW をご覧になってください。
// クラス変数
SFXSOAPServiceProxy _wsdl;
// サーバからの返答を受け取るための通知コールバックメソッドを設定
_wsdl.SetNotifyHandler(OnResultSHP, this);
// Web サービス記述言語 WSDL を設定
if (_wsdl.SetWSDLDocument("weatherbycity2.xml") == SFERR_NO_ERROR) {
// Web サービスの名前を設定
_wsdl.SetServiveName("WeatherByCity");
// Web サービスのポート名を設定
_wsdl.SetPortName("WeatherByCitySoap");
// 呼び出す Web サービスとその機能 (メソッド) を指定
_wsdl.SetMethodName("GetWeatherByCity");
// 指定されたパラメータの値を設定
//
// Web サービスのユーザプロパティを設定
_wsdl.SetParameterValue("UserID",
SFXBuffer(SFXAnsiString("[email protected]")));
_wsdl.SetParameterValue("Password",
SFXBuffer(SFXAnsiString("*******")));
// Web サービスのパラメータを設定
_wsdl.SetParameterValue("CityName",
SFXBuffer(SFXAnsiString("Washington")));
_wsdl.SetParameterValue("StateAbbreviationORCountryName",
SFXBuffer(SFXAnsiString("PA")));
// Web サービスを呼び出す
_wsdl.Invoke();
}
2006 年 06 月 21 日 : Connectivity
オープンソースという言葉がITの世界で流行っている。
けれども、この先、ソフトウェア産業の発展を望むならば、オープンソース以上に大切になってくるコンセプトというものがありそうな気がする。
それは「コネクティビティ」というごく有り触れた考え方である。
オープンソースは、ネット上にソースコードを公開し、さまざまなプログラマがソースコードをシェアながらソフトを開発してゆくアプローチである。
ひとつ疑問に思うのは、ソースコードをシェアすることが果たして本当に生産的かどうかなのだ。
プログラムというソフトは日本語や英語と比べると、プログラマーによって記述される内容は厳密そのものであるが、その意図を理解しようとするならば少なからず苦痛や努力が伴うものである。
ソースコードを読んでワクワク&ドキドキな体験をする方が稀と言えるかもしれない。
オープンソースのアプローチでは、少なくともソースコードを理解するための時間と労力が非生産的なのではないだろうか。
勿論、自分より才能や能力のある人のソースコードを読むことで自分のプログラミングスキルを伸ばすという有意義な一面もあるけれど、それはオープンソースの主たる目的ではない。
オブジェクト指向のカプセル化、日本語では「情報隠蔽」なる言葉で翻訳される概念こそが重要ではないかと思う。
それはソースコードをオープンにするのではなくて、寧ろクローズなものとし、必要なアプリケーションプログラミングインターフェース(API)のみを公開するというアプローチである。
今現在、"Web 2.0" というキーワードで説明されるインターネット業界は、この方向に動いているような気がする。
インターネット上のデータベースをアクセスするための API を公開し、ネットの人々が自由に使える世界である。
データは何も商品やニュース、個人情報に限らなくとも良いと思う。
プログラムも一種のデータであり、それらの API がひろくネット上に公開され、かつあらゆるプログラム間で自由自在に接続可能となり、そのバリエーションによってアプリケーションがインプリメントされるとすればどうだろうか?
同じ種類のプログラムモジュールを複数の人間でシェアして開発するよりも、その人が世界一才能を発揮できる分野のモジュールを一人で開発し、同じようにして創られた他のモジュールを接続しながら動作する世界の方が躍動感がありそうだと感じるのは僕だけであろうか。
オープンソースの先にあるもの。
それは、プログラムを構成するモジュールが自由自在にネット上にあるモジュールと柔軟に、そして簡単にコネクトできる世界である、と感じる。
2006 年 06 月 16 日 : Marketing innovation
イノベーションというキーワードには何となくテクノロジー的な雰囲気がするけれど、手掛けているビジネスをブレークさせようものならば、マーケティングイノベーションというものも絶対に外せないということが分かってくる。
それでは、一体、マーケティングイノベーションとはどういう概念なのだろうか?
人によってその解答は勿論異なると思うけれど、僕はこんな風に理解している。
コンピューター業界においては、いまでは IBM や マイクロソフトは偉大な大企業であるが、最初からそうだった訳ではなく、ある切っ掛けで飛躍したことが歴史を紐解けば分かる。
IBM にしても、マイクロソフトにしても、優れたテクノロジーを持つ企業であったことに変わりはないけれども必ずしもナンバーワンであった訳ではない。
寧ろそれよりもテクノロジーの面ではもっと素晴らしい企業が存在していたのも事実なのだ。
IBM の場合、UNISYS(旧ユニバック)。マイクロソフトの場合、デジタルリサーチやアップルコンピューターである。
何故 IBM や マイクロソフトがそういう企業を凌駕しえたのかということが重要なポイントになるだろう。
IBM は、それまで科学技術計算の用途が主体であったコンピューターを商業分野へと応用し、 マイクロソフトは個人の趣味の対象に過ぎなかったパソコンをビジネスで使えるようにした。
IBM もマイクロソフトも最初から戦略を持ってそれを為したのではなく、偶然の機会を発展的に拡大していったに過ぎない。
元を辿れば事の始まりは依頼した顧客の発想が原点であったことが分かる。
意図的に目論んでビジネスを展開する以前に、自社だけでは思いも付かぬ発想をする人が外部にいて、それを自社に取り込んでビジネスとして育てていったと解釈できる。
研究開発型ベンチャーで飛躍を遂げた企業を研究すると、そんな些細なチャンスをモノにして、マーケティングイノベーションを起こした企業は枚挙に暇がない。
テクノロジーをブレークスルーさせるためにある種の利用シーンを想定するのは必要不可欠であるけれど、そのテクノロジーが大きく育つ場は案外それ以外のところにある場合が大半である。
ベンチャーが飛躍するか否かはそれに掛かっていると極論もできよう。
そのためにも、何気ないお客様との会話に潜んでいる、「マーケティングイノベーションの発芽」をキャッチできるかが問われることになるだろう。
2006 年 06 月 15 日 : Turn the tide
20年前、インターネットを利用しているのは大学などの研究者に限られていたし、パソコンを個人で所有している人はマニアくらいであった。携帯電話に至っては、存在すらしていなかった。
インターネット、携帯電話、パソコンが急激な勢いで普及し始めたのは、今から 10 年ほど遡る " 1995 年 " ではないかと個人的に考えている。
僕が初めて当時 " マイコン " と呼ばれるパソコンを購入したのは、1985 年のことだから、その時から 10 年の歳月を経て、これらの IT が日常品化しだした。
そうなるまでは長き 10 年であったけれど、それからの 10 年というものは脱兎の如く過ぎ去っていったように思う。
いまでは形勢は大きく逆転し、インターネット、携帯電話、パソコンなどの IT と無縁な人を探す方が困難なくらいに当たり前のモノへと変貌を遂げてしまった。
20年前、10 年前、いや 5 年前でもいい。
IT がこれほどのスピードで進化発展を遂げ、人々の生活に欠かせない道具になると誰が予測できたであろうか?
恐らく、これらのテクノロジーを発見し、発明した天才ですら想像し得なかった現実ではなかろうか…サイエンスフィクション・サイエンスファンタジーを除いては。
化学実験で異なる物質を混ぜ合わせて化学反応を起こさせることで、元の物質とは全く性質の異なる物質が生成されたりする。
そんな状況に近いのかもしれない。
これから 5 年後、10 年後、 20 年後 ・・・ の未来がどんな風に連続的に変わってゆくのか、とても想像しがたい話ではあるけれど、ひとつだけ確信を持って言える事がある。
それは、いま以上にこれらの IT が進化発展を遂げて、夢のようなことが現実になっているという空想である。
だから、暫くの間はモバイルを中心とした IT に集中特化した事業を展開していても、それほど間違いはないと考えている。
2006 年 06 月 07 日 : Web strategy
戦略とは、戦いを略することであるとも言われる。
資源の限られるベンチャーの場合、こう言う"戦略"的な発想が未来への希望に結びつくのだと思う。
ベンチャーを起業した頃、最も肝心であるのに困難な障壁は何だろうか、と自問自答していた。
自分なりに悟った答えは、研究開発したソフト技術を如何にしてひろくマーケットに浸透させるかであった。
いわゆるマーケティングというものがベンチャー起業における最大のキーファクターになるだろう。
どのように戦略的にマーケティングするかで未来は大きく左右されると考えた。
だからマーケティングはインターネットという新しいテクノロジーに頼り、そこから僕たちのアイデアを発信する事に全てを託した。
経営資源を集中特化する意味はどこにあるのだろうという洞察から全てが始まるようにも僕は想う。
次第に明らかになってきたのは、Web サイトに限った話ではあるけれど、3 〜 5 年後にイメージするような理想の企業が持つものを実現できたと思う。
目標とするものはもっと高きところにある。
けれども、ネットというバーチャルな世界であるにせよ、 3 〜 5 年後のイメージが現時点で具体化できているのは大きなアドバンテージではないだろうか。
2006 年 06 月 07 日 : Balance of game
いつの頃からなのだろうか。
明言できないけれど、自分への投資は意識的に惜しみなく行なってきた。
ソフィア・クレイドルという会社を創業したのも、自分自身の可能性を探るための、あるいは隠された才能や能力を見出すチャンスに賭けた投資と言えるかもしれない。
求めるものを得るためには、投資という行為は欠かせないものである。
何故なら、何も無いところから有を見出そうとするよりも、元にあるものがあってそれを自分の想い描くものに転換する方がきっと着実だろう。
確かな着地点をリアルにイメージして、理想の世界を実現するには、時、想い、お金、モノ ・・・ いろんな投資が必要だ。
ただ一つの資源だけが潤沢にあるのもダメで、さまざまな要素のバランスというものも不可欠だ。
音楽、絵画、スポーツ ・・・ どのような業界においても超一流の域ともなれば、バランスこそが外せない軸なのかもしれない。
コントロール可能なパラメーターもあればそれがまったく叶わぬものもある。
それ故に確率的な世界に無力感を抱くこともあるけれど、実は世界というものはほんのちょっとした違いに過ぎないものが夢幻の如く華やかなものに見えるだけなのかもしれない。
この地球には数え切れぬほどの人が暮らしている。
ある人には些細に思えるものが別の人には一大事というのが現実でもある。
ひょっとしていかなる偉大なものもそんなところから出発するのかもしれない。
先ずは自分で納得できるアウトプットを出して、そのアウトプットを一人でもいいから、評価してくれる人が現れるまで高める努力を継続する。
であればあとは順風満帆になるのだろう。
2006 年 04 月 15 日 : Resonance
インターネットの時代で、最も心せねばならないのはスピード感ではないだろうか。
アインシュタインの特殊相対性理論によれば、物体は光のスピードを超えることができないと言う。
物理学での物体には質量が伴うが、人の意識や感情にはそれに相当するものが無い。
だからひょっとすると、そこには超光速の SF 的な世界がひろがっているのかもしれない。
インターネットビジネスの例ではこんな感じだ。
ネットの世界では、場所を異にする複数の人々が、同時にある情報を見て感じ思考し判断する。
その瞬間起こる興味深いことは、物理的に離れた人と人が共感するという現象である。
インターネットは、世界中遠くに離れた人々の意識が、光速を超えて共鳴し得るという事実を示唆しているように思える。
新しい時代では光速を超えたスピードで世界が変わるのかもしれない。
それだけにネットにおける情報発信の意義は高まるだろう。