2006 年 03 月 22 日 : Memory
Andras Schiff が演奏する、J. S. Bach が作曲した "Keyboard Concerti Concerto #5 in f, BWV 1056 - Allegro/Largo/Presto" を聴きながら、この文章を綴っている。
客観的な事実として、単にひとつの曲に過ぎないのだけども、この曲を聴く様々な人の想いや心情といったものは一言で表現するのは不可能に近い。
同じようにホームページやメール、ブログに載せる文章にしてもそんなことが日常茶飯事のように起こり得ると考えた方が良いだろう。
ある事象をひとつの文章にまとめたとする。
その時、客観的に同じ意味を持つ内容が幾通りにも表現でき、その中から最善の表現を試みるという姿勢が大切である。
文章がアタマの中で映像化されて、希望や願望にシンクロするものであれば、きっとその内容は永く記憶されるに違いないと思う。
たった一度だけ聴いた名曲のワンフレーズが、生涯に渡って忘れ得ぬ記憶として残るのと同じである。
冒頭に記した、J. S. Bach の曲は僕にとってそんな曲である。
ビジネスでも基本はそんなところにあると思う。
ホームページやマニュアルなどのドキュメントの文章を書くときに、名曲や名画を創作しようとする心構えでいるかどうかで結果は天と地ほどの差が生まれる。
大事なのは、意味が通じれば良いということではなく、人々の心のなかでそれがどんな風に響くかというイメージそのものである。
もしそれが J. S. Bach の曲が奏でるメロディのように、人々の心に和むものであれば、これほど素晴らしいことはないだろう。
2006 年 03 月 22 日 : プラスアルファ
弊社にジョインしているスタッフは京都の大学・大学院に通う学生が多い。
何らかの切っ掛けで偶然出合った間柄である。
茶の湯の「一期一会」という言葉を大切にしている。
人生において時間ほど貴重なものはない。一瞬たりとも無駄にすることなく常に生産的でいたい。
働いた時間だけ小遣い程度の報酬を得るというよりは、もっと貪欲になって生涯に渡って文字通り「ツカエル」計り知れない何かを身に付けてもらいたい。
だから、仕事を提供する経営者として考えるべきは、単に労働に報いる対価以上に、僕にしかスタッフに与えることができない「+ α 」って何かという問題意識だ。
段々と分かったきたのは、学生はビジネスの素人だということ。
十中八九、世の中で価値あるモノを見出し創造して、その価値に応じてお金を得るというプロセスに疎い。
高校や大学で全く習わないのだから至極当然の話ではあるけれど…。
けれども社会に出て独りで生きていくためには、これほど必要とされ涸渇しているスキルも少ない。
要するに希少価値があり、金銭では計ることすら不可能なコンセプトなのだ。
ベンチャー企業では、そんな能力がなければ間違いなく倒産の憂き目に会う。逆に言えば、ベンチャーが曲がりなりにも存続しているのは、多少なりとも自立しうる力が内在しているということなのである。
世の中、成功する人もいれば失敗する人もいる。圧倒的に多いのは失敗する人たちである。
違いは何か?
間違いなく言えるのは、目に見えないチャンスを自分のものにできた人だけ成功するという冷徹な原理である。
ブランドが華々しく一世を風靡している場所に、チャンスって多そうに見える。実際のところは、順境の局面において、ものごとの本質を見極めるはとても難しい。
皮肉かもしれないけれど、ブランドがその輝きを世に見せる夜明け前の方がはっきりと目視できる。
統計学的に言えば、何らかの才能である一定水準以上の人物は必ず存在するものである。
その人が創ったものが人々に選ばれるかどうかというのは、確率で計れるものではなくて、原理原則に基づく行動をしているかどうかの問題に過ぎない。
だけど、この原理原則というのものが簡単なようで難解なのだ。
ソフィア・クレイドルで働く意味はどこにあるのか?
仮に自分が何らかの才能で人よりも秀でているとする。
自分でその才能をどのようにプロデュースすれば、他者に頼るでもなく、確実に成功できるのかというノウハウを体得できること。
そこに弊社のようなベンチャーにジョインする意義を見出せる。それこそが得られる最大の価値であると僕は考えている。
2006 年 03 月 22 日 : 新しいビジネスの形
今週は、地球の裏側、ラテンアメリカのお客様とメールでコミュニケーションを取りつつ仕事を進めていたりする。
聴くところによると、ラテンアメリカではNOKIA 製の携帯電話が爆発的に普及しているという。
携帯電話のハードウェア仕様が日本で普及しているものと一部異なっている。
特殊な仕様をメールでヒアリングし、その仕様通り数学的にプログラミングし、完成したものをネット経由でお客様に配布する。
手元には現地で使われている携帯電話が無いので、お客様に協力を仰いでテストしていただく。
今朝、何ら問題なく無事に動作したというお客様からのメールが入っていた。
問題が発生してから解決までに要した時間は一週間もかかっていない。現地に赴く必要は全くない。
ネットの有り難さを実感する瞬間である。
今後、ワールドワイドなビジネスのスタイルは大きな変貌を遂げることであろう。
肝心なのは、その姿をどれくらいリアルにイメージできるかである。
2006 年 03 月 21 日 : 空間ワープ
ベンチャーとは、全ては無から創まるビジネスだけに、既存の企業とは計り知れないほどのハンディがある。
けれども、これはどこの傘下に入るわけでもなく、独立独歩のスタイルでベンチャーを起業した者にしか理解し得ないことなのかもしれない…。
ハンディを乗り越えるツールはひとつだけあると思う。
誰もが持っているはずの"智慧"である。既存の企業を桁違いに凌駕するだけの"智慧"を振り絞って行動しなければ、独立系ベンチャーの命なんて一瞬のうちに潰えることであろう。
そうならないためにも、当たり前のことなんだけれど、意外に難しいのが"売れる状況"をどうやって演出するかである。
売れるものに共通する概念について徹底的に考え抜くことが大切だ。
地球の裏側にまで瞬時に空間をワープするほどの「これってなんとなくいいね!」という気持ち、感情、心の波形こそが、そんな売れる雰囲気を創り出すんだ、と僕は思う。
そんな心の波形のカタチって漠然としていて、直ぐに的を得た答も得られるわけでもなく、いろいろと想い描いているうちに儚くも時は過ぎ行く。
だけど、イマジネーションと共に流れる空間に身を委ねて時間を過ごすことで、突然アイディアというものは思い浮かぶのである。
多くの人は、ダイレクトに商品の効能を大々的にプレゼンして、成功を収めようとする。
正攻法である。
なんとなく別の方法がありそうな気がする。
曲を作ったり、絵を描いたり、文章を書くとき、心の欲するままに素直に表現するときに傑作って生まれるのではないだろうか。
事業として手掛けてるのはソフトウェア業。プログラミングの世界である。アルゴリズムとかややこしいものがあって、かなりロジカルなものに思えるかもしれない。
でもプログラムにしても、乗りに乗っているときなんかは、左脳じゃなくて右脳で直感的に創るスタイルになっている。そんなときに限っていい作品って生まれる。
いま創っているものを人々が手にした時、どんな気持ちになるのかイメージすると良いだろう。
その時、圧倒的にプラスの方向へと誘う感情を確かに見出せたなら、それは売れる瞬間がイメージできたと言えるのかもしれない。
2006 年 03 月 21 日 : 以心伝心
人の心はカタチあるものとしてイメージするなら、それは時間軸上に上下に振幅する波の形をした曲線のように思う。
気分の良いときもあれば悪いときもある。悲しいときもあれば楽しいときだってある。
人の心は緩やかにダイナミックに上昇したり下降したりしながら、波のカタチをして前進するものだ。
波は、数学的に波動方程式というもので表され、その解は sin や cos といった三角関数の合成で表現されると大学で学んだ。
単一の sin や cos が描く曲線はシンプルで単純極まりないけれど、それらを組み合わせると様々な形をした波が観測できるのが不思議ではある。
何事においても、きっとものごとの基本はシンプルでクールなのだ。
大学で数学を学んでいた当時、学問としては理解できたけれど、自分の人生においてどんな風に応用できるのか全く見当も付かなかった。
でも現実のビジネスの世界では、実際にそんな方程式を解くことによって成功したり失敗したりという感じがする。
具体的にはこんな感じである。
ベンチャービジネスで最大の難関は、ブランドも知名度も実績も無く如何にして研究開発したものが人々に選ばれるかという一点に尽きるだろう。
これは人の心の様相と密接に連動する問題である、と僕は捉えている。
音楽にしても、映画にしても、文学作品にしても、人々はそれを鑑賞することで心の波形に変化が現れる。
それがその音楽、映画、文学作品の波のカタチだ。
ある時、完璧な瞬間に、そんな波が人の心の波形とシンクロし共鳴することで波形は増幅する。
人の心と対象となるものの波のカタチを表現する、その二つの波動方程式に共通する解が見出された時、それはきっと選ばれるのではないだろうか。
二つの連立方程式に共通の解があることは、心とその対象のシンクロを意味する。
言い換えれば「それってなんとなくいいね」という思う瞬間である。
シンクロナイズされた共感のポイントを出発点として、新たな発見をし感動や感激といった心の高揚感を得る。
共通の接点から出発して、互いの曲線を辿ったときに新しい世界を感じることが出来るなら。そんな創造的なモノは、きっと人々から選ばれるに違いないし、ベンチャーを創めるひとつの理由と言えるかもしれない。
2006 年 03 月 18 日 : 霊妙な植物
屋久島では、「屋久杉」という樹齢 1000 年を超える、長寿の「杉」がいまもなお数多く生息しているという。
なかでも世界遺産にも登録されている「縄文杉」という「杉」は、一説によると樹齢 7200 年と言われる、世界最古の植物である。
屋久島という地は、「杉」という木が観測される南限の地であり、一般に「杉」の寿命は 300 年ほどと言われる。それだけに、自然の不思議さと壮大さに驚きを禁じえない。
ネットに、例外中の例外が現実となる理由がこんな風に記されている。
「屋久島の土台は花崗岩で栄養分が少なく、杉の生長が他の地域に比べ遅くなります。すると、年輪の幅が緻密になり材は硬くなります。そうなることで樹脂道に普通の杉の約 6 倍ともいわれる樹脂がたまります。この樹脂には防腐・抗菌・防虫効果があるため、屋久杉は長い年月の間不朽せずに生き続けられるのです」
要するに、屋久島の厳しい自然環境が幸いして、世界でも類を見ないほどの美しき長寿が保たれているのだ。
もし屋久島が他と同様に「杉」にとって環境が良ければ、そんなことは決して起こり得なくて、300年ほどの平凡な生命を全うしたに過ぎないだろう。
ベンチャーを創めて何年か経つ。
次第に募る思いはどんな風に美しきフィナーレを描くかの一点である。
「縄文杉」は普通の「杉」よりも成長のスピードが極端に遅かった点に、僕たちベンチャー起業家は着目すべきだろう。
法人という存在のゴールは必ずしも数十年か先の地点にあるのではなく、何百年、何千年以上も先の未来に引き伸ばすことが可能だ。
短期的な結果を求めて焦る必要は何もないと思う。
2006 年 03 月 17 日 : リベルテ
僕にとっての 21 世紀とは、「自由」な日々を過ごすための時代である。それ以前は、大学や大企業という大組織に所属していた。
「自由」が僕の人生におけるキーワードなんだけれども、よく考えてみると「自由」という言葉自体、その意味が曖昧で、人それぞれに定義が異なるようにも思える。
最近、読んだ本の中に、「自由」とは「自らに由(よ)る」ということなんだと書かれていた。
その本にあるように、他者に頼ることなく、自らの力を信じて生きるという風に、「自由」という言葉を僕なりに解釈している。
大きな組織に所属していると、権威やら権力という世俗的なものについつい迎合し勝ちである。不本意ながらそれに従わざるを得ない状況に陥る事態も多い。
そんなことが何度となく繰り返されると、次第に自分自身の本当の良さを表現するパワーが消滅してしまうシステムのようにも感じられた。
世渡りという観点から言えば、権威や権力というものに素直に従うのが手っ取り早く、近道なのかもしれない。
年を重ねる毎に時の経つスピードを実感する。人生って長いようで意外に短い。
確実に言えるのは残されている時間は有限であり、希少価値があるということ。
充実した日々を過ごすためには、できるだけ多くの時間を自分の人生の目的に費やしたい。
大きな組織から距離を置き「自由」に生きる道を選択をしたのは、そんな理由からとも言える。
〜人は常に変わりなく無欲で純粋であれば、その微妙な唯一の始源を認識できるのだが、いつも変わりなく欲望のとりこになっているのでは、差別と対立にみちたその末端の現象が分かるだけだ。〜「老子・第一章」(金谷治著)